天国や地獄は本当にあるのか|どちらに行くのか、その基準とは?

この世とあの世

天国や地獄の世界は本当にあるのか

天国や地獄と聞くと、何か空想や物語に出てくる世界に思われる人もいるかもしれませんが、それらはあの世の世界に実際にあるものです。

人が死後に天国に行くか、地獄に行くかは、ある意味はっきりしていて、一生の人生をトータルで見たときに「黒字」ではなく「赤字」になれば地獄に行って反省することになるわけです。

つまり、一生を通してプラス(黒字)ではなくマイナス(赤字)のほうが多ければ地獄へ行くことになるし、逆にプラスのほうが多ければ天国へ行くことになるわけです。

では、そのプラスとマイナスの基準というのは何なのか。

その基準は「愛の思いで生きたかどうか」なのです。実は、基準というのはそれだけなのです。

一生を通しての「黒字」と「赤字」を分ける基準は、私たちが生きている日々の一日一日、一瞬一瞬の思いや行いが愛の方向に沿っているか、愛の方向に反しているか、という点に尽きているのです。

愛の思いで生きたかどうかが問われている

愛の思いとは、利他の思いであり、他人の幸福のために生きることです。

そのような思いや行いはプラスとなり、どんどん蓄積されて「黒字」になっていきます。

そして、愛の思いの反対は、我欲であり、自分さえよければいいというエゴの思いです。

怒りや憎悪、嫉妬なども同じです。そういった思いや行いはマイナスとして記録されて、「赤字」になっていきます。

自分の日頃の思いや行いはすべて心の中の想念帯に記録されていて、死んだときにその合計でプラスが多ければ天国に行くし、マイナスが多ければ地獄に行くことになるのです。

元々、人間というのは自らの魂を進化させ、他人と調和して生きていくために生まれてくるのです。

その目的を忘れて安楽に自我我欲のためだけに生きるのであれば、本来の目的から外れているわけですから、魂としてはやはり足らざる部分、未熟な部分があるわけで、それをしっかり見つめて反省する必要が出てきます。

地獄とは魂の反省場であり、病院のようなもの

そういう意味では、地獄というのは魂の反省場のようなものであり、病院のようなものなのです。

人は病気が治れば病院を退院するように、反省が済めば地獄から上がって天国へ帰っていくのです。

また、地獄からこの世に生まれ変わってくるということはできません。地獄に行ったとしても、その後天国に帰って、必ず天国から生まれ変わってきます。

地獄というものは、元々最初からあったわけでもなければ、神がつくられたものでもありません。

私たち人間神の子にとっては、本来あの世という霊的な世界がホームであり、地上というのは魂を磨くための修行の場なのです。

魂を成長させるための修行場がこの世であるのですが、だんだんとそれを忘れて地上の生活のほうが良いと言って、物質に執着する人たちが出てくるようになった歴史がありました。

そして、心が調和されたあの世の高次元世界に帰れない人たちが出てきたのです。

そういう人たちが低位霊界に一つの磁場をつくって住み始めたのが地獄の起源であります。

本来は地獄というものはないものであって、いずれはなくなっていくものであり、過渡期的にその存在が許されているものなのです。

愛の思いで多くの人の幸せのために生きること

私たちは決して完璧な存在ではありません。

ときには失敗をし、愛の思いで生きられないこともあります。

しかし、それも一つの学びであり、魂にとって無駄になることは何一つもありません。その学びを通して、より愛深き人になっていければいいのです。

天国に行くのか、それとも地獄に行くのか。

それは私たち一人ひとりの生き方が愛の思いに満ちているかどうかで決まります

愛の思いで多くの人の幸せのために生きること。

それが私たち神の子の本来の生き方であり、幸せになっていく道なのです。