この世はなぜあるのか【三次元世界の意味】

この世とあの世

この世はなぜあるのか

「この世はなぜあるのか」という疑問は誰もが一度は持ったことがあるのではないでしょうか。

私自身もそうでした。「どうしてこの世界に生まれてきたんだろう?」と。

それが分からないまま生きてきて、非常に苦しんでいた時期がありました。

この世が存在している意味とは何なのでしょうか。

その答えというものは、この世だけで考えていても出てこないものです。

この世の存在意義というものは、あの世との関係の中で初めて見出せるものであります。

この世に生まれてくる前は私たちはどこにいたのか

私たちが生まれてくる前にはどこにいたのか。

その点を抜きにしてはこの世の意味というのは分からないものです。

元々この世に生まれる前は、私たちはいわゆるあの世と言われるところにいて、そこで普通に生活しているわけです。

ただ、この世と違うのは物質的な肉体がないということです。

普段私たちがしているように、食事をしたり、眠ったりする必要はなくて、物質的な肉体を持っていませんから、それを維持するために必要なことというのは何もないわけです。

あの世ではあの世の生活がある

では、どうやってあの世で生きているのかという疑問が湧いてくるわけですけれども、この世に太陽があるように、あの世にも霊太陽というものがあって、その光を浴びてエネルギーを補給しているのです。

霊太陽から無限にエネルギーが供給されてきて、そのおかげであの世にいる人たちは生きることができているということがあります。

もちろん、あの世にも地上の物質のようなものではなくても食べ物や飲み物はあって、霊的な意味でそれを食べたり、飲んだりして味わうこともできますし、他の人と話したり、仕事をしたり、交流したりして普通に生活しているのです。

つまり、あの世にはあの世での生活というものがあり、普通に生きているわけです。

そして、魂としてより成長、進化していくために様々なことを学んでいます。

前回、地上に生まれたときに上手くいかなかったことがあれば、それを振り返り、どう生きれば良かったのかということもそうですし、もっと周りの人に優しく、愛をもって生きることができたのではないかとか、次に地上に生まれたときはこうしてみようとか、人それぞれに課題があるということです。

愛ある行動ができたかという視点で見たときに、満足できる部分もあれば、不満足な部分もあって、そういう反省も含めてあの世で学んでいるということがあります。

あの世ではいくらでも分かったような気になれる

あの世というのは、「思い」の世界であって、今私たちが生きているような物質としての肉体は持っていません。

その人の思っていることがそのまま表に現れていると言うこともできますけれども、言ってみれば念の世界であります。

そのような世界で人は何をしているのかと言うと、魂を成長進化させるために様々なことを学んでいるわけです。

それは「修行」という言い方もできます。思いの世界での修行なので、いくらでも「分かった」、「理解できた」という気持ちになれます。

たとえば、数学でも何でもいいのですが、中学校の授業で出てくる様々な公式というものがありますよね。

文字式であったり、因数分解とか、そのような公式について先生が説明してくれて、例題などを使って実際に解いてみせてくれます。

その後、今度は自分でやってみましょうということで、練習問題にそれぞれが取り組む。

ところが、先生の説明を聞いていたときには分かったようなつもりになっていたのに、実際に自分でやってみるとできないことがありますよね。

自分では理解したつもりになっていたのに、実際にやってみると分からないことが出てくる。

この世はあの世で学んだことの試験場

つまり、何が言いたいのかと言うと、この世というのはあの世で学んだことが肉体をまとってできるかどうかを確かめる場所であるということです。

あの世で学んだことが本当に実践できるかどうかを試す場所であり、この世とはあの世で学んだことの「試験場」であるということです。

この世に、ある意味で、肉体という制限されたものをまとって生まれてきて、具体的にどのように生きることができるか。

どのような言動を表すことができるか。

あの世では思いの中で分かっていたことが、本当に分かったのかどうか。

その試験はこの世で実際にできなければ通らないのです。

たとえば、人を傷つけてはいけない、人には優しくすることが大切だと学んだとき、あの世では理解していたのに、実際に生まれてみたらやっぱり前と同じように人を傷つけることばかりしてしまった。

それであれば、何も学んでいなかったねということになってしまうわけです。

この世に生きているというのは、ある意味で一瞬一瞬が試験であります。

その学んだことの結果がすべて出てしまうのが、この三次元と呼ばれる地上世界であるということなのです。

肉体を持つのは大変尊いこと

その意味において、肉体を持つのは大変尊いことです。

なぜなら、そのような経験を実際に地上で可能ならしめているのは肉体があるからこそだからです。

肉体を持つことによって魂に深く刻まれる学びができるのです。

この世というのは、あの世で学んだことが実際に身についているかを試す場所であり、私たちは何度も生まれ変わりを繰り返し、自らの魂を成長進化させているのです。