『すずめの戸締まり』に出てくるミミズとは
先日、映画『すずめの戸締まり』を見てきました。
『すずめの戸締まり』は新海誠さんが監督・脚本のアニメで、九州に住んでいる女子高生の岩戸鈴芽と「閉じ師」と呼ばれる青年の宗像草太が日本各地の「災いの扉」を閉じていくロードムービーです。
新海監督の作品は個人的にも大好きでよく見ています。過去の作品である『君の名は。』や『天気の子』なども『すずめの戸締まり』を見に行く前に家で改めて見ましたが、映像の美しさはもちろん、非常に多くの示唆に富む作品です。
今回、『すずめの戸締まり』の中に「ミミズ」と言われるものが出てきます。
それが非常に象徴的な意味合いを持っているので、ミミズの正体とは何なのかについて考えてみたいと思います。
「常世」と「現世」をつないでいる扉
「ミミズ」というものが作中でどのように描かれているかと言うと、視覚的には赤黒いエネルギーの塊のようなものです。
後ろ戸と呼ばれる扉が開くと、それは空に向かって噴き上がり、まるで巨大なミミズが空を這うかのように広がっていきます。
そして、だんだんと膨らんで、その重さに耐えられなくなり、地上に落ちるとその地に地震が起きます。
『すずめの戸締まり』では、異なる世界を結ぶものとして「扉」が重要な役割を果たしています。
その異なる世界とは、「常世(とこよ)」と言われるあの世の世界と、「現世(うつしよ)」と言われるこの世の世界です。
それらをつなぐものとして描かれているのが後ろ戸の扉であり、その扉が開くと常世からミミズが現れてきます。
ミミズは目に見えないあの世のもの
ミミズは鈴芽と草太以外の人たちには見えません。
それはミミズが常世という、あの世の世界のものであり、あの世のものは肉体の目には見えないからです。
鈴芽が同級生たちに向かって「あれが見えないの?」と問いかける場面がありますが、同級生たちには全く見えておらず、「何を言っているの?」と逆に訝しがられてしまいます。
鈴芽と閉じ師である草太には目に見えないものが見えているのですが、なぜ普通は目に見えないあの世のものが二人には見えているのでしょうか。
ミミズが見えるのは閉じ師、そして常世に行ったことがある者
ミミズが見えるのは閉じ師のほか、常世に行ったことがある者だと言われています。
閉じ師である草太がそれを見ることができるのは分かりますが、どうして鈴芽にも見えるのでしょうか。
実は鈴芽は四歳の頃、母親を探しているときに後ろ戸を通って常世に迷い込んだことがありました。
そのため常世に行ったことのある鈴芽にもミミズが見えるのです。
草太によると、ミミズとは日本列島の下でうごめく巨大な力であり、目的も意志もなく、歪が溜まれば吹き出し、暴れて土地を揺るがすものだと言われています。
ミミズが意味するもの
ミミズは目に見えないものであるのに、空を覆うように肥え太って大きくなり、地上に落ちると災いとして地震という形で人々に降りかかってきます。
それは次の二つのことを意味しているのです。
まず一つは、目には見えないものが存在しているということ。
もう一つは、その目に見えないものが何らかの作用をもって現世であるこの世に大きな影響を与える力を持っているということです。
それは作品上のファンタジーということではなく、実際に私たちが生きているこの世界の有り様を示しているとも言えます。
それはすなわち、目には見えないあの世と言われる世界が存在し、目には見えないものがこの世に大きな影響を与えているということです。
ミミズは人々の悪想念のエネルギーの塊
ミミズとは何なのでしょうか。
結論を言えば、それはこの世で生きている人々の悪想念が集まったエネルギーの塊を表しているのです。
日頃、常世であるこの世で生きている人たちが発している思い、想念というのは目には見えませんが、電波のように四六時中発せられています。
心の中で思う、その思いというのはエネルギーそのものなのです。
そして、似たようなエネルギーは引き寄せ合って大きくなります。
それは「波長同通の法則」や「親和性の法則」と言われるものです。
悪想念というのは、一言で言えば、愛に反する思いです。
自分さえ良ければいいというようなエゴの思いや我欲、憎しみや恨み、不平不満、思い上がりなど、地上で生きている多くの人々がそのような思いを発し続ければ、それは目には見えませんが、赤黒いスモッグのようになってどんどん溜まっていきます。
人々の悪想念が集まって溜まっている様子を視覚的に表しているのがミミズなのです。
東京上空に渦巻く巨大ミミズ
『すずめの戸締まり』では、人々の悪想念のエネルギーの塊がミミズとして描かれています。
たとえば、映画の中でも東京の上空に巨大なミミズが渦巻く場面が出てきますけれども、東京という場所には他の都市と比較してもかなり多くの人たちが住んでいますよね。
つまり、その分、人々が発している想念の量も他の都市に比べたら圧倒的に多いということです。
また、ミミズがそれだけ巨大になるということはそれだけ多くの人たちが悪想念を発しているということを意味しています。
作中にダイジンというネコが出てきますけれども、ダイジンは東京上空を覆っているミミズを見ながら鈴芽に向かって「これが落ちれば、(大地震が起きて)多くの人が死ぬよ」と言っています。
つまり、ミミズの大きさと地震の大きさが比例していることがそこから分かるわけですが、人々の思いや想念のエネルギーというのは、集まって大きくなればなるほど大きな作用をもたらすということなのです。
大地震などの天変地異の本当の原因
この映画がミミズという一つの象徴を通して私たちに問いかけていることは、大地震などの災害、天変地異の本当の原因は何なのかということです。
それは他でもない、私たち自身が発している悪想念が原因になっているということです。
その悪想念が溜まり、膨らんでいき、ある臨界点を超えると大地震のような形で自分たちに降りかかってくるということ。
別の言い方をすれば、自分たちが発したものが自分たちに返ってきているということなのです。
まるで天に向かってツバを吐けば、それが自分の顔に降りかかってくるかのように。
愛や感謝などの善想念で世界を輝かせる
それはつまり、私たち一人ひとりの心の思いが変われば、天変地異が降りかかってくるような原因を作ることはないということでもあります。
悪想念ではなく、その反対の善想念である愛や感謝、利他の思い、謙虚な心をもって生きる人が増えれば、ミミズがむくむくと大きく膨らんでいくこともなく、天変地異が起こることもありません。
『すずめの戸締まり』ではミミズの動きを封印し、大災害が起こらないようにする「要石」というものが登場しますが、そのような要石も人々の心の思いが善想念に満ちていれば本来は必要ないものです。
多くの人々から愛や感謝に満ちた思いが発せられれば、大災害の原因となる、あのような赤黒いミミズではなく、明るい光がミストのように放出されてこの世界を包み込み、光輝かせることができるのです。
『すずめの戸締まり』ではそこまでは描かれていませんが、そのような世界を描くことは今を生きる私たち一人ひとりに委ねられているのかもしれません。
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