正義という言葉の中に殺し合いという文字はない
まだまだ世界の各地において、ニュースなどで見ることもありますが、私たちが知らないものも含めて、人々の争いや戦いというものが現在進行形で起こっていると思います。
その中には「神の正義」の名のもとに、殺し合いをしている人たちもいるわけですけれども、本来の神の正義の中に「殺し合い」という文字はありません。
神の名のもとであれば殺戮も許されるというのは明らかに間違った考えですし、もし神が殺し合いを望まれていると思っているならば、それは明らかに間違った思い込みです。
結局、そのような思いで殺し合いをしている人々は、「自分たちだけは正しい。自分たちだけが神の正義である」として相手を裁き、武器を取り、そのような行為にかられているに過ぎません。
正義を振りかざし、人殺しをすることは決して愛とは言えないと思います。
特に宗教の違いによる争いというのは、今も様々な火種を含んだものですが、どんな理由であっても殺し合いをすることは愛とは正反対の行いです。
それぞれの宗教の神々であっても、殺し合いを望んでいる方は一人もおりません。
宗教の神々は天国においては仲の良い地球の指導者の方たちであって、反目したり、争い合うようなことは決してありません。
みんなそれぞれの良いところを讃え合い、支え合って生きている愛深き方々です。
地球を照らしている太陽が一つであるように、地球を指導されている天上界も一つであり、宇宙の神は一つです。
私たちはもう愚かな争いを卒業しなくてはいけないときではないでしょうか。