人間神の子としてのこれからの生き方〜宇宙時代に向けて〜(3/3)

神の子

大宇宙の神の愛に共鳴して生きる

神の子としての自覚のもとに

この大宇宙がどのような法則に貫かれて、私たちが根本的にどのような存在であるのかを知ったなら、日々の人生の中で今度は一人ひとりがその神の愛に共鳴して生きる。

それは神の子として、愛の子としての自覚のもとに生きるということです。

私たちはこの大宇宙を創造された神によりつくられた子どもたちです。

一人ひとりが神の一部として、唯一無二なる個性を与えられ、愛を表現するために生み出された存在であります。

神の思いに自らの思いを重ねる

あらゆるものを生かし育もうとする愛のエネルギーに満ち満ちている大宇宙。

神の子であるということは、私たちは宇宙の根源の神と元々つながっているということです。

しかしながら、波長同通の法則の通り、愛の思いがなければ、神の思いには通じません。

神は圧倒的な愛でこの大宇宙全体を隅から隅まで包み込まれています。

その神の愛に共鳴して、つながり、生きていくこと。

その神の愛の思いに、自らの思いを重ね合わせて生きること。

その中で、具体的にどのような愛を表現し、他の神の子たちと手を取り合ってどのように愛を表現していくことができるか。

それは一人ひとりの自由であり、「こうしなさい」「ああしなさい」と命令されるようなものでもなく、どのようなやり方や方法であってもいいのです。

あなたでしかできない愛の現し方、愛の成し方があって、それぞれの愛の表現を神は喜ばれます。

互いに尊重して生かし合う

私たちは一人で生きているわけではなく、一人だけで生きていくこともできませんよね。

家族であっても、社会であっても、自分一人だけが存在しているのではなく、他の人たちと共に生きているのであって、それぞれがかけがえのない同じ神の子です。

とはいえ、それぞれ個性も違いますし、思いや考え、価値観も違うかもしれません。

その違いによってあつれきが生まれ、ケンカをしたり、認め合えないことも出てくるかもしれませんが、そこで衝突して互いを傷つけ合うのではなく、互いを尊重して生かし合うことが愛というものです。

生かし合うというのは、お互いに相手のことを尊重し合うということです。

自分一人の思いだけを相手にぶつけて、思い通りにならないのであれば、相手を傷つけてしまえ、殺してしまえというのは愛とは正反対のものですよね。

人にはそれぞれの自由意志もありますし、自らが神の子であるのと同じように、相手も同じ神の子であり、神の命の現れです。

互いに生かし合い、尊重して生きることで、そこには調和が生まれてきます。

神は大調和を望まれ、私たちを愛し続けてくださっています。

独占するのではなく分かち合う

地球より進化した星では、生活するのに必要なものはセンターのようなところで無料で人々が分かち合っています。

食べ物や飲み物であっても、それを提供する人と受け取る人の間でお金がやり取りされているのではなく、お互いへの感謝の気持ちで分かち合っているのです。

そこには独占して、自分だけがいい思いをしようというようなエゴの思いはありません。

足りないものがあって困っている人がいれば分け合って、互いに支え合って生きています。

今、地球では必要以上に多くのモノがあふれ、消費され尽くされずにただ捨てられていくような国もあれば、その一方では、その日に食べるものがなくて常に飢えに苦しんでいるような国もあります。

分かち合うことが神の子として当たり前のことであり、喜びでもあるということに気づけば、そのような偏った社会ではなく、誰もが安心して暮らせる社会をつくっていけるのではないでしょうか。

「今後何が起こるか分からない。命の危険が脅かされる可能性があるかもしれない」という不安や恐怖があるからこそ、必要以上に貯め込んでしまい、いざというときに自分や家族の命だけは守りたいという思いが強くなるのかもしれませんが、肉体の命というのはそこまでして守ろうとするものでもないのです。

この世での肉体の命にしがみつくのではなく、死んだらサッパリと本来のあの世の世界に帰っていけばいいのです。

そのようなことよりも、神の子としての神性を見失い、自分さえよければいいというような思いで他人を蹴落としてでも生きることのほうが、よほど恐れるべきことです。

裁くのではなく赦し合う

人間は誰一人完璧な存在はいませんよね。

やはり生きている中で道を誤ったり、罪や過ちを犯すこともあるものではないでしょうか。

もちろん自ら犯した罪や過ちの責任は自分自身で取らなくてはいけませんけれども、他人の罪や過ちについてはそれらを責め立てるのではなく、赦すことです。

なぜなら、神は一人ひとりの人間の罪や過ちを罰したり、裁くようなことはなく、赦し続けていらっしゃるからです。

神は私たちの失敗を責めるようなことはなく、ただただ温かく見守り、永遠に赦し続けていらっしゃいます。

現代社会における風潮として、一度でも罪や過ちを犯した人に対しては犯罪者や失敗者としてのレッテルを貼り、温かく社会復帰や再起を応援するというよりかはいつまでも赦すことなく冷たい視線を向け続けるようなことも多いのではないでしょうか。

でも、失敗しない人などいないのです。

自分自らを振り返ったときに一度も過ちを犯したことがないという人などおらず、それは今世に限らず、魂の長い歴史の中でもやはりそれぞれ未熟なときがあったはずで、自分だって同じような失敗をしていたことがあるかもしれません。

それでも赦され、赦されて、温かい愛の中で見守られてきたのではないでしょうか。

それを思えば、互いに咎め合い、裁き合うのではなく、その相手の辛さや大変さに思いを寄せて、励まし支えられるような優しさこそが私たちが持つべきものではないでしょうか。

地球に生きる一つの家族として

人間というのは、他者の幸せのために生きることが心からの喜びとして感じられるようにつくられているのです。

普通は自分のために生きることが自分の幸せにつながると思いますよね。

しかし、本当はそうではなくて、自分ではない誰かの幸せのために生きれば、自分の幸せのために生きるよりも何倍もの大きな幸せを心から感じられるのです。

それは国や人種、宗教などにも関係なく、この一つの地球に生きる同じ神の子として、互いの幸せのために愛し合って生きることこそが人類にとっての本当の幸せであります。

国を越えて互いに武器を向け合い、傷つけ争い、戦争をするのではなく、そのような不毛な争いは卒業し、一つの地球家族として愛でまとまり、調和しながら生きていく。

他の星々、そして大宇宙の進化発展のために

その愛の思いが自分たちだけではなく、さらには私たちが住んでいるこの地球という惑星をも越えて拡大し、地球人として他の星の人々の幸せのために生きていくようなときがいずれやってきます。

今はUFOであっても、宇宙人であっても、まだまだ信じられないという人も多いかもしれませんが、いずれは宇宙人たちも明確にその姿を現し、私たちと交流してくれるようになっていきます。

彼らがはっきりと姿を現さないのは、私たち地球人が幼く、野蛮だからです。

彼らがどんな姿形をしていたとしても、大宇宙の神の分け御霊としてつくられた私たちと同じ神の子であり、この大宇宙の中での一つの家族であり、兄弟姉妹なのです。

そして、彼らは私たちより先を歩んでいる先輩たちのようなものであって、実際、この大宇宙の中では自らの母星を飛び出して、他の星々の進化発展のために働き、愛のおすそ分けをしている人たちがいらっしゃいます。

そのような人たちは「スペースエンジェル」とも言われますけれども、私たち地球人もいずれはそのような存在となって、星から星を渡り歩くような人たちも出てくるでしょうし、大宇宙全体の進化発展のために貢献していけるような星になっていくときがやって来ます。

そのような宇宙時代に向けて、私たちが神の子として大宇宙の愛に共鳴し、互いに愛し合って生きること。そして、そのような愛の星にしていくこと。

それが今、地球に生きる私たち一人ひとりに求められていることではないでしょうか。