どのような霊能力が存在するのか
霊能力というのは、特別な人にだけ与えられているものではありません。
物質の肉体というのは魂の乗り舟に過ぎず、私たちは本来、霊的な存在であり、どんな人であっても霊能力というのは元々持っているものです。
肉体に宿っているときは霊的な力もかなり制限をされた状態になっているのであって、その力を自覚することは少ないかもしれません。
そのため、地上で霊能力を発揮することができるような霊道を開いた状態になると、本人の心境によっては悪霊や地獄霊たちと通じ、悪影響を受け始めてしまうこともあります。
そのように霊能力というのはその使い方においても認識においても一歩間違えるととても危険なものであり、諸刃の剣でもあるのです。
そのようなことを踏まえた上で、霊的な能力の現れ方について客観的かつ冷静に整理をしてみたいと思います。
霊視は目には見えないものを見ること
霊視とは肉体の目には見えないものを見ることです。
例えば、分かりやすく言えば霊の姿が見えることです。
また、生きている人のオーラが見えたり、その人の守護霊の姿が見えたりすることもあります。
他にも、人の過去や未来の様子が見えることもあります。
これらはどのようにして見ているのかと言うと、もちろん肉体の目でレンズを通して網膜に映ったものを見ているというわけではありません。
霊的な目である「霊眼」または「心の眼」と言ってもいいのですが、それによって見ているのです。
ヨガなどでは眉間にチャクラがあると言われることがありますが、目のエネルギーの中枢がその部分にあり、そこで肉体の目には見えないものを見ているのです。
霊視の能力が進んでくると、ただ霊の姿が見えるというだけではなく、その霊が考えていることやどういう性質を持っている霊なのかが見た瞬間に手に取るように分かるようになります。
霊聴は霊の声を聞くこと
霊聴というのは霊の声を聞くことです。
いくつかのケースがありますが、耳元で囁くような声が聞こえてくることもあれば、自分の内側から、心の中から聞こえてくることもあります。
これは本当に注意をしなければいけませんが、本人が悪霊や動物霊に憑依されている場合、耳元で囁くような、自分の外から声が聞こえてくることがあります。
心の状態が間違った方向、すなわち愛に反する方向にあると、悪霊たちの唆しや惑わしを受けやすいので重々気をつけなければなりません。
本物の霊聴というのは、心の奥から、胸の中から響き聞こえてくるようなものです。
自分の内側から声が聞こえ、言葉が浮かんでくるようなものが本当です。
霊聴と言っても、本当に天上界の霊人たちの声を聞いているのは数パーセントであり、残りのほとんどは悪霊や動物霊などの憑依により聞こえてくる声であることを私たちは知っておくべきです。
霊言は肉体を通して霊に語らせること
霊言とは人間の肉体を通して霊に言葉を語らせることです。
別の言い方では、シャーマン能力や巫女能力と呼ばれることもあります。
この霊言というのも玉石混交のところがあり、その内容においては非常に高低の差があります。
悪霊や動物霊なとが語っていることも多々あるので、その霊言が本当に高級霊や天使の言葉であるのかどうかはその内容をもって判断し、その違いを見抜けるようにならなければいけないのです。
霊の言葉が降りたと言って有り難がっていたら、実際は動物霊が語っていたことだった、などというのは大変よくあることです。
同じ波長のものでないと通じ合わない
霊言を受けるには、それを受ける側がその霊と通じる同じ波長を出していないと受けることはできません。
それはテレビやラジオの電波と同じであって、その電波を受信する側のチャンネルが合致しないと映像や音声になりません。
波長同通の法則とも言われるように、同じ波長のものでないと通じ合わないのです。
つまり、高次元の世界からの霊言を受けるには、受ける側の心境がそれに通じるものでなければならないということです。
霊的世界において、その高低を分かつものはその霊人が発している波動の精妙さです。
高次元の世界になればなるほど、波動が精妙になり軽やかになります。
それは別の言い方では愛の深さとも言えて、高次元の世界の住人になればなるほど愛が深いのです。
霊言の受け手側の人の心が愛に満ちて調和していなければ、そのような世界からの言葉は受け取れません。
反対に心の中に怒りや嫉妬、憎悪、イライラなどが占めているようであれば、それに応じた地獄霊や悪霊がかかってくるということなのです。
霊夢は眠っている間に霊界へ行き、霊人と交流すること
いわゆる霊能者ではない人であっても多くの人たちが経験し、体験しているのが霊夢(れいむ)です。
これがどのようなものであるかと言うと、寝ている間に発揮している霊能力です。
例えば、すでに亡くなってあの世に帰っている人と会って話をしたり、自分の守護霊と話をしたりすることです。
人間は睡眠を取っているときに、魂が肉体を抜け出してあの世の世界に行っていることが数多くあります。
そのようにして霊界を見てきたり、そこにいる人たちと話をしたりしているのです。
その中で様々なインスピレーションを受けたり、これから先の自分の未来の様子を見ることもあります。
未来のことが分かる予知
予知も霊能力の一つであり、未来のことが分かります。
将来起こることがビジョンとして見えたり、人の運命が読めることです。
予知能力はもちろん外れたり、時間的なズレが生じることもあります。
それはこの三次元の物質の世界と霊的世界とでは、時間の概念が異なるからです。
地上では地球の自転によって一日が二十四時間ですが、霊的世界では一日一日が何時間と区切られているわけではありません。
そこに流れているのは永遠の時間であり、時間の感覚がやはり地上の人間とはかなり違っているのです。
そのため予知として先のことを把握できたとしても、それが何月何日の何時に起こるのかと言うことは難しいところがあります。
日にちや時間を特定するのではなく、これから先のおおよその時間軸の中で、そのようなことが確かに起きるという捉え方のほうが適切です。
ノストラダムスや黙示録のヨハネ、エリヤなど予知や予言を専門にしている霊人もいます。
幽体離脱は肉体から魂が離れること
幽体離脱とは肉体から魂が離れることです。
これも一つの霊的な能力と言うことができます。
先ほど人間は眠っているときに魂が肉体から出ているということについて触れましたが、それも幽体離脱と言えます。
その意味では、誰もが幽体離脱をしたことがあるわけですが、眠っているときではなく目が覚めているときに幽体離脱を行うことも可能です。
例えば、北欧の科学者であり霊能者であるスウェーデンボルグなどもベッドに横になった形で幽体離脱をしていたと言われます。
自らの肉体を抜け出して、空を飛ぶように様々な場所へ移動することができるわけです。
また、幽体離脱の特殊な形としては、肉体を離れた霊人が別の場所に行って、そこで物質化した状態で現れるということもあります。
これは一種の物質化現象とも言えますが、霊体を物質化させて、異なる場所に同時に存在させるというものです。
仙人などでそのようなことができる人もいます。
最も大切なのは心の教えであり、神の子としてどう生きるか
このように霊能力は様々な現れ方をしますが、それらの能力に振り回されるべきではありません。
最も大切なのは心の教えであり、私たちが人間神の子としてどのように生きるかということです。
そこがすっぽりと抜けてしまって、物珍しさや現象ばかりに目を奪われるようなことでは本末転倒なのです。
言ってみれば、霊能力というのは刺身のつまのようなものであり、それぞれの魂の霊的な進化成長に応じて自然と身についてくるものでもあります。
もし霊能力が使えると自覚することがあるのであれば、その使い方は一歩間違えると非常に危ういものであることを認識した上で、善なる思いでその能力を生かすことがとても大切なことです。
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