思いや行いのすべては心の想念帯に記録されている
私たちの心の中には「想念帯」という部分があります。
想念帯には、その人の過去から現在までの思ったことや行ったことがすべて記録されています。
それは今世の数十年のことだけではなくて、その人の過去世からの魂の長い歴史のすべてが記録されていますから、それを見ればその人がどのような人生を送ってきたのか分かります。
その意味で、想念帯とは魂の記録のテープのようなものです。
過去世のことなど思い出すことは普通はなかなかありませんが、実は顕在意識に出てこないだけで、心の奥底にはそれらがすべて記録されて残っているのです。
初めて来た場所なのになぜか懐かしさを感じたり、初めて会った人なのになぜか前にも会ったことがあるような懐かしさを感じることはありませんか。
そのようなときは想念帯に残っている過去世の記憶が呼び覚まされて、懐かしさを覚えているのです。
神の愛の方向に沿ったものは金色で記録されている
思ったことや言ったこと、行ったことがすべて想念帯には記録されているのですが、神の愛の方向に沿ったものは何色で記録されていると思いますか。
それらは金色で記録されており、その部分は光り輝いているのです。
反対に、神の愛に反するものは灰色で記録されていて、その箇所の想念帯は曇っているのです。
たとえば、他人を不幸にするような思いや行い、怒り、疑い、愚痴、利己などは想念帯を曇らせることになってしまいます。
しかし、そのように一度曇らせてしまった想念帯の部分があったとしても、その思いや行いが愛とはかけ離れたものであったと自ら間違いを認めて、反省することによって、その灰色の曇りを取り除くことができるのです。
そして、それは曇りを取り除くだけではなく、反省することによって、その部分が金色に塗り替えられて記録されるのです。
灰色で曇った想念帯も反省により金色に光り変わる
汚れやホコリがついている窓でも、掃除して汚れを取り除けばピカピカになって光が通るようになりますよね。
それと同じように過去の自らの思いや行いが神の愛に通ずるものだったのかを、善意の第三者として客観的に見つめて、愛に反するものであったのであれば素直に反省することによって灰色で記録されていた部分が金色に変わるのです。
私たちは魂が本来の姿であり、肉体ではなく目には見えない魂そのものが私たち自身です。
魂には永遠の命が与えられていて、自らの思いや行いのすべてが想念帯に記録されているわけですけれども、その魂の歴史の中でたとえ愛に反するような失敗や過ちを犯したとしても、それで真っ黒な記憶として永久に記載されるようなものではありません。
それらを反省し、過ちを認めることで、曇った想念帯を黄金色に輝かせることができるのです。