魂の個性は神の光の七色から成っている

魂の個性

それぞれの魂には固有の個性がある

最初に少し個人的な話から始めたいと思いますが、先日、ある夢を見ました。

もう何年も前に亡くなった知り合いのAさんが夢に出てきて、私はAさんと「魂の個性」について話をしていました。その夢の中で、周りに透明なガラスのカラーボールのようなものがいくつか転がっていました。水色や緑色などのボールがある中で、Aさんは私を見ると、「あなたの色はこれね」と言って、緑色のボールを手に取って渡してくれました。それは深い緑色の葉っぱのような色でした。

それぞれの魂には固有の色があります。ちなみに、緑というのは「調和、芸術」を表しています。なぜそれぞれの魂に固有の色があり、それぞれの色にはどのような意味があるのでしょうか。

魂は個性によって七色の光が混ざり合っている

「自分の個性は何なんだろう?」と考えたとき、それを見つけていくのが一つの生きる意味でもあると思います。

個性というのは自分らしさと言ってもいいのかもしれませんが、私たちの魂が生み出されたとき、すべての魂には唯一無二の個性が与えられて、この宇宙の中で全く同じ個性を持つ魂は一人もおらず、その人にしか果たせない役割というものを埋め込まれて誰もが存在しています。それぞれの魂がオリジナルの個性や役割を持っており、そこに様々な神の光の色のバリエーションがあるのです。

魂の個性の色は大きく分けて七色になります。虹の七色とは違うのですが、その七色とは「黄」、「白」、「赤」、「緑」、「青」、「紫」、「銀」で、各色ごとに固有の役割があるのです。

七色が表している意味と役割

それでは、 神の光の七色が表している意味と役割はどのようなものになるのでしょうか。それは以下のようになっています。

黄:法、神理
白:愛
赤:正義
緑:調和、芸術
青:知性
紫:秩序、礼節
銀:科学

黄は法、神理

黄色というのは、金色とも言われますが、法、神理を表しています。法というのは人間が作った法律ではなくて、宇宙を貫いている法則です。宇宙の神によってつくられている決まりであり、神のお心そのものです。たとえば、仏像などが金色になっているのも法の色を表していると言えます。

白は愛

白色は愛を表し、司っています。医者や看護師さんなどは白衣を着ていますが、あの白色がまさに象徴的です。苦しんでいる人に寄り添い、救っていくという医療はまさに白色の表れです。

赤は正義

赤色は正義を表しています。非常に大胆で力強さを感じる色ですが、一言で言えば、リーダーシップです。人々をどのようにまとめていくかという統率力を表している色です。政治は赤色に属しています。

緑は調和、芸術

緑色は調和を司る、まさに自然の色です。木々の緑などに表れています。芸術も緑色に属しており、絵画や音楽、彫刻、文学など、人々に調和をもたらすものとして存在しています。

青は知性

青色は知性であり、知的なものを司る色です。哲学や思想、学問などがこの色に属しています。

紫は秩序、礼節

紫色は非常に高貴な感じを受ける人もいるかもしれませんけれども、まさに秩序や礼節の表れです。目上の人を敬うとか、礼儀というものの中に表れている色です。

銀は科学

銀色は科学の色です。科学者の魂などは、この銀色の割合が強くなっています。

いくつかの色が混ざり合って個性を形作っている

このように各色にそれぞれの意味と役割というものがあります。

「それぞれの魂はその七色のうちの一色しか持っていないの?」と思われる人もいるかもしれません。しかし、そういうことではなく、だいたいが何色かの色を合わせ持っていることが多いと言われています。つまり、魂の個性は各色のブレンドになっており、いくつかの色が混ざり合って個性を形作っているということです。たとえば、ある魂にとって割合として一番多いのは緑だけど、その他にも白や青なども個性として持っているといった形です。

これらの七色のうち多く持っている色、あまり持っていない色など、いくつかの色を合わせ持っているのが私たちの魂の個性であります。自らを振り返ってみると、どの色が強い魂なのか、心当たりが出てくるかもしれません。

個性の色は神の光の分光

これらの魂の個性の色は、すべて根源の神の光が分光されたものです。人間が「神の子」であると言われる所以は、神の光から分かれて、唯一無二の個性を与えられて、生み出された存在だからです。

自分が本来、どのような個性を込めてつくられた魂なのかは簡単には分からないかもしれません。しかし、それは確かに神の期待が込められたものであり、永遠の旅路の中で、何度も繰り返し様々な経験を積む中で徐々に分かってくるものです。

自分がどのような固有の色を持った魂なのか。それを見つけていくことが人生の一つの意味でもあり、最後は神のもとへ帰っていく永遠の旅路を歩いているのが私たちという存在なのです。