肉体は魂の入れ物

永遠の魂

人間は死んだらすべて終わり?

今の世の中、死んだらすべてが終わりになると思っている人もまだ多く、そのような不安や恐怖を抱えている人も多いわけですけれども、実際には死んで無になるようなことはありません。

「死んだこともないのにどうしてそんなことが言えるのか」と言われる人もいるのですが、私の場合は個人的な霊的体験によるところも大きいです。

その体験というのは、肉体から抜け出すという、いわゆる幽体離脱と言われる体験です。

寝ている自分の上に浮かんでいる自分

それは二十代半ば頃のことでしたが、自分の部屋で夜寝ているときに肉体を抜け出す経験をしたことがありました。

私は知らぬ間に肉体から離れていて、寝ている自分の上に浮かんでいました。

部屋には収納用の家具があったのですが、そこに大きな丸い光の玉が一つ浮かんでいて、その周りに四つか五つほど小さな光の玉がふわふわと浮かんでいました。

私はその光を眺めていたのですが、その光の玉から感じられたのは、圧倒的な安らぎであり、安心感というものです。

特に何かを話すわけではないのですが、その光の玉から波動の暖かさが伝わってくるのです。それは温かく見守られているような感覚とも言えるかもしれません。

肉体がなくなっても魂の命はなくならない

それから、私は掃除機にでも吸われるような感覚を覚えながら、自分の肉体の中に戻っていき、「ハッ」と気づくと、身体に戻っていました。そして、それまで見えていた金色の光の玉は見えなくなっていました。

その当時は霊的なことには全く興味もなかったので、何か不思議な体験をしたなあという程度だったんですけれども、そのときに思ったことは「肉体というのは自分自身ではなくて、入れ物なんだ」ということです。

それは肉体がなくても、自分自身は確かに意識として存在し続けているということでもありました。

つまり、人間の肉体というのは、あくまでも魂の入れ物であって、魂のほうが本来の姿であるということです。

そのようなことを実感してからは、死に対する恐れや不安というものがなくなっていきました。

「寿命が来て死んだからといって、それで存在が終わるわけではない。肉体の命が終わっても魂の命は終わるものではない」

今となっては私自身そのように思っているわけです。

私たちは誰もが霊的な存在である

魂というのは私たちの肉体の目では見ることができないものです。

あの夜、部屋に現れた金色の丸い光の玉というのはまさに魂そのものであって、自分の肉体に戻ると見えなくなってしまいましたが、私があのときに肉体を抜け出してその光から感じた圧倒的な優しさや安心感というものは確かなものであり、目には見えないものが確かに存在していると実感するには十分なものでした。

それ以来、人間というのは誰もがその内側に本来のその人自身が宿っており、目では見えなくとも、誰もがそのような霊的な存在であると思うようになりました。

死を悲しみすぎる必要はない

死というのは本当は怖いものでも何でもなく、肉体に宿っていた魂が離れて本来の姿に戻ることです。

死んだからと言って自分という存在が消えてしまうわけでもなく、肉体を離れてそのまま生き続けていくというだけのことなのです。

そのことを知れば、身近な人の死に際しても、悲しみすぎる必要もなく、別れは辛いものではあっても、肉体がなくなっただけでそのまま魂として生き続けているわけですから、「寂しいけど、天国でまた会おうね」と言ってあの世に送り出していくこともできるようになるのではないかと思うのです。

死に対する不安や悩みは私たちにとって大きなものがありますけれども、本当は恐れるものでもなく、反対に本来の霊的な姿を取り戻す喜ばしいときでもあるのです。