大切なものは目に見えない

この世とあの世

大切なものは目に見えない

私たちにとって大切なものは、いつの時代においてもその存在が証明できないものであります。

たとえば、愛というものは誰もが大切だと考えているでしょうが、その愛を「見た」という人もいなければ、これが愛だと手に取ったり、それを誰かに見せたりすることもできないものです。

しかし、愛は確かに存在していて、私自身もその存在を信じている者であります。

愛とは風のようなもの

たとえば、風の存在を見ることはできるでしょうか。手に触れることができるでしょうか。できませんよね。

それでも風の存在を信じられないということはなく、木々の葉が揺らげばそこに風が通ったと思い、ビュービューと身体に触れればそこに風が吹いたことを感じる。

しかし、それをビンの中に入れて、これが風だと人に見せることはできません。

つまり、愛も風のようなものです。客観的にその存在を証明してみせることはできないものですが、愛があることは感じることができるのです。

人間にとって大切なものは実在界にあり、地上では証明できない

そのように、人間にとって大事なものは存在証明になじまないものが多いのです。

神もそうですし、愛や美、調和、勇気、希望など、これらはすべて宇宙に実在しているものであり、地上では証明できるものではありません。

というのも、それらは実在界と言われる四次元以降の世界にあるもので、三次元の世界にある材料を使って証明できるものではないからです。

たとえば、宇宙の神は二十次元の存在だと言われておりますから、その存在を三次元の基準で証明することは不可能なのです。

ここに「信仰」というものの意味があります。信仰とは、その存在を信じて、感じ取り、受け入れることです。

そして、大いなるものに敬意を払い、その大いなるもののために生きようとすることであります。