惑星や恒星のつくられ方〜星はどのように誕生するのか〜

大宇宙

星の誕生

宇宙の中には数え切れないほど無数の星々がきらめています。

それらの惑星や恒星はどのように誕生するのでしょうか。

それは決して偶然に生まれるわけではなく、そこには一つの意志が働いているのです。

星の中にも意識が宿っている

まず、星というのはただの岩の塊ではありません。

私たち人間の肉体の中に魂が宿っているように、星の中にもそれぞれ意識が宿っているのです。

人間の魂であっても、星の意識体であっても、目には見えない愛のエネルギー体です。

十次元の惑星意識、十一次元の恒星意識

人間の場合は、その人の波動の精妙さによって霊界の中で住んでいる世界、すなわち次元が分かれています。

地球の霊界は四次元から九次元に分かれていますが、その中で最高度に進化した人格霊は九次元霊と呼ばれています。

その九次元の学びを終えると、十次元の惑星意識としての学びに入っていくのです。

十次元の意識になると惑星に宿るようになり、さらに次のステップとして、十一次元の意識になると今度は恒星に宿るようになります。

数体の意識体が協力し合い、星を生み出していく

星々がつくられるためには、そのような惑星や恒星の意識体が必要です。

一つの惑星をつくるにあたっては、数体の意識体が協力し合うことになります。

その中の一体が中心となり、その惑星そのものの生命体として生きることを決めます。

その意識体の思いがまずは最初にあるのです。

星のつくられ方の一つ目は分裂によるもの

実際の惑星のつくられ方にはいくつかの種類があると言われています。

一つ目は「分裂」です。

それはいわゆる細胞分裂のようなものです。

一つの星の一部が分かれるようにして、もう一つの星が生み出されていくことがあります。

実は、地球もそのような分裂という形でつくられたものであります。

地球は太陽から飛び出すようにして生まれました。

それは地球だけではなく、太陽系と呼ばれる惑星は大砲から飛んでいく玉のように物質的に太陽から生み出されたものです。

二つ目はエネルギー磁場をつくり様々なものを引き寄せる

二つ目は、エネルギー磁場の中心ができて、様々なものを引き寄せていくやり方です。

宇宙空間に漂っているものや隕石などを強力な磁場をつくって磁石のように吸い寄せていくのです。

「ここに星よ、あれ」というような強い思いが一つの磁場の求心点となって、星が創造されていきます。

それらの吸い寄せられたものが合体していき、惑星の核のようなものをつくり、そこから長い時間をかけてどんどん大きくなっていくわけです。

そのようにして一つの惑星が物質的に形作られていくのです。

三つ目はガス体の化学反応による物質化

そして、三つ目はガス体が化学反応を起こして惑星になっていく形です。

化学反応を起こす中で、火がついたような感じでパチパチと化学現象が起きてきます。

その反応の中から物質的なものが生じてきて、引力によって相互に引き合い、くっついて固まっていくということもあります。

その際には、大きな渦を巻くようにしてだんだんと大きくなって星ができてきたりします。

ちなみに、星というと地球のように物質の固まった塊を思い浮かべますが、中にはガスの塊の状態の星もあるのです。

それぞれの星に使命と個性がある

いずれにしましても、一つの惑星がつくられるまでには何億年、何十億年というような大変長い時間がかかります。

私たちからすれば途方もない時間に思えますけれども、惑星としての物質的な形がある程度できれば、そこに惑星の意識体が宿っていくのです。

人間の赤ちゃんも受精をしてすぐに胎内の肉体に魂が宿るわけではなく、数か月程度、肉体が育った上で魂が入っていきますが、それと同じです。

そして、それぞれの惑星はそれぞれの使命と個性を持っています

星々の色や形がそれぞれ異なるのも、そこに宿っている惑星意識の個性の違いなのです。

星の使命が終われば解体されていく

そして、いずれは星としての使命も終わりを迎えることになります。

それは人間が寿命を終えていくのと同じことです。

使命が終われば、星は凍りついたり、爆発したりして解体されていくことになります。

星が解体されれば、そこに宿っていた意識体はまた元の世界に帰っていくことになります。

人間が死んで魂が霊界に帰るように、惑星意識も肉体に宿る前にいた世界に帰っていくわけです。

このようにして、私たち人間の肉体の寿命とは比べ物にならないほどの長いスパンではありますが、惑星や恒星というものにも一生があるのです。

宇宙の星々も同じ神の子

この大宇宙にきらめく星々というのも、私たちと同じように神の子です。

そのスケールは私たち人間を超えた非常に大きなものでありますけれども、神の愛の表現体であることに変わりはありません。

私たちはともに愛を表現し、ともに愛し合う存在として神よりつくられているのです。