死後、人間の記憶は消えるのか

死後、人間の記憶は消えるのか

私たちが死んだ後、それまでの記憶はどうなるのでしょうか。

死ねばすべての記憶が消えてしまうと思っている人もいるかもしれませんが、実際はそうではありません。

この世での思いや言葉、行いというものは、実はすべて意識の中に記録されております。

それがどこに記録されているかというと、「想念帯」と呼ばれる領域です。

生きている間の思いや言葉、行いはすべて想念帯に記録されている

私たちは普通、この世で生きているときに認識している意識というのは、本来の意識全体からすれば10%程度にしかすぎません。それは「表面意識」とか「顕在意識」と呼ばれています。

一方で、残りの90%は普段は認識していない意識であり、「潜在意識」や「無意識」と呼ばれています。

想念帯というのは、この表面意識と潜在意識の間にあるものです。言ってみれば、その二つをつないでいるところに当たるわけです。

私たちが生きているときに思ったことや言ったこと、行ったことというのは、この想念帯にすべて記録され、消えることがありません。ですから、その想念帯を見れば、その人がどんな一生を送ったのかが分かります。

たとえてみれば、生きている間中ずっとスマホで自分の言ったことが録音されて、自分のやったことが自撮りされているようなものです。それだけではなくて、心の中で思ったことまで記録される、高性能な機械を自分の中に持っているようなものであります。

愛の思いは金色に、利己に満ちた思いは灰色になる

想念帯は、その思いや言葉、行いの内容によって、記録されている部分の色が変わります。

他者の幸せを願って、愛の実践行為をしているところは金色になって記録されます。ところが、そのような愛の方向とは逆のものであったとき、そこは灰色になってしまいます。

つまり、愛の実践行為をしていれば、想念帯が曇ることはないのだけれども、利己の思いに満ちている場合は、そこが曇ってしまうわけです。

一生を通じて、金色に光っている人生だったのか、灰色にくすんだ人生だったのかが結果的に一目瞭然になるのです。

反省をすることで灰色から金色に変わる

一度灰色になってしまった部分というのは、もうどうしようもないのかと言うと、そんなことはないのです。一度つくってしまった想念帯の曇りも、自らの間違いを素直に認めて、心から謝ることで、その曇りを取ることができるのです。

私たちは決して完璧な存在ではありません。生きていれば、愛とは反対のことをしてしまうこともあります。そのときに、その相手はもちろん、神に詫びて反省をすることができます。その反省によって、想念帯の部分が灰色から金色に変わります。

たとえば、窓ガラスは雨が降ったり風が吹いたりすると、汚れますよね。それを雑巾で拭いたりしてきれいに掃除すれば、またピカピカのガラスになります。

それと同じように、想念帯の曇ったところを反省という窓拭きによって、ピカピカの金色にすることができるのです。

ですから、もし何か間違ってしまったことがあるならば、反省という意識の掃除をすることです。それにより、想念帯の記録というものはどんどん光輝いていきます。

曇りが取れると守護霊からのインスピレーションを受けやすい

また、想念帯の曇りが取れてくると、自らの守護霊と波長が同通しやすくなってきます。

そうなると、守護霊からのインスピレーションも受けやすくなってきて、より愛の思いを持って生きられるようになっていくのです。