善なる心を信じて

自分の心でこうやりたい、こうありたいと思うことが社会や他人の価値観や常識と異なっているとき、私たちは他人の声のほうを優先し、自らの心にはフタをしてしまうことがあったりしますよね。

それはある意味で、自分の心の声には耳をふさぎ、周りの声に合わせながら「こうあらねばならない」と自らに無理やり言い聞かせていると言ってもいいかもしれません。

しかし、そういうふうに生きていると、おそらくどんどん苦しくなって、自分が何のために生きているのか分からなくなってくるはずです。

なぜ、私たちは自分の心ではなく、周りの声ばかり気にしてしまうのでしょうか。

それは周りや社会から批判されたり、浮いてしまうことを恐れているからですよね。

自分の心で思っていることや、やりたいことを素直に表明したときに、周りからどのように思われるだろうかとまず最初に考えてしまう。

そのときに反対されるかもしれないし、批判もされるかもしれない。

そうなるくらいなら、周りに合わせて理解されやすいことを言ったほうがいい。

そんなふうに私たちは自分の心を縛り、魂の自由さを縛ってしまっているのではないでしょうか。

心を縛れば縛るほど、魂の伸びやかさが失われてしまい、その人が持っている本来の素晴らしさが発揮されなくなるものです。

「人からどう思われてもいいや。自分の心の声に耳を傾けて、それを大切にして生きよう」という心境になったときからが本当の人生のスタートだと私は思うのです。

そう言うと、中には「もし人が心の思うままに生きたら、ひどい悪行が世の中に蔓延するんじゃないか」と考える人もいるかもしれませんけれども、そんなことはなくて、人間の心というのは本来、圧倒的な善に満ちているものなのです。

もし悪行を働く人がいるのであれば、その人に聞いてみたらいいです。「あなたは本当にそれを心の底からしたいと思っていますか」と。「本当は苦しんでいるのではないですか」と。

そういう人は苦しんでいるに決まっているのです。

なぜなら、心とは善なるものであり、善に反することをすればそこに苦しみが生まれるのが道理だからです。

「自分の心にはウソをつけない」ともよく言われますよね。

心にウソをつけばつくほど苦しくなって、人は行き詰まっていくのです。