身体ではなく意識のほうが自分自身
私たちは普通に生きていると、自分の身体が自分自身だと思いがちです。
ところが、実際はそうではなくて、意識のほうが自分自身であります。
意識は、思考するエネルギー体とも言いますけれども、何かを考えたり、思ったりしているものです。
それが本当の自分自身であって、身体のほうで考えたり、思ったりしているわけではないのです。
自分自身に起こった不思議な経験を通して
個人的な経験の話になりますが、二十代の後半に仕事を辞めて、遠方の新しい土地に引っ越す前のことでした。
夏のお盆を過ぎた頃でしたが、そのときは実家に住んでおり、昔から使っていた自分の部屋で夜中布団に横になって寝ていました。
すると、足元のほうに金色に光っている玉のようなものがいくつか見えました。
それは不思議な光の玉で、大きな光の玉が一つと、その周りに小さな光の玉がいくつか横になっている私の足元のほうで浮かんでいるのです。
話ができるわけではないのですが、その光の玉から何か温かい思いが感じられ、見守られているような感じを受けました。
当時、その遠方への引っ越しというのは、特にその引っ越し先で新たな仕事が決まっていたというわけではなく、その土地に誰か知り合いがいるわけでもありませんでした。
ですので、私自身としては非常に不安な気持ちがあったのも事実であり、本当にやっていけるのだろうかという気持ちもありました。
当時の私は作家になりたいという思いがあって、小説や詩を書いていました。
そのために、実家を離れて、新たな場所で作品を書いてみようと決めて、会社も辞めて引っ越しをすることに決めたのです。
とはいえ、本当にやっていけるのだろうかという不安がずっと消えずにいました。
しかし、その夜に現れた光の玉を見て、ホッとしたと言いますか、安心したというのが実際のところでした。
なぜなら、その金色に光る玉から見守られている感じがはっきりと伝わってきて、「大丈夫だよ」と励まされているような気がしたからです。
それは本当に言葉では言い表せないような温かさであり、大きな安心感を覚えさせるものだったのです。
肉体から抜け出した自分
その光の玉を私はどのように見ていたと思われますか。
それは自分の肉体の目ではありませんでした。
肉体から抜け出した自分というものがいて、その自分が光の玉を見ているのです。
夢を見ていたのではないかと思われるかもしれませんが、そうではなくて、肉体から離れた自分がそれを見ているのです。
私たちの肉体には魂の一部が宿っており、それを霊体と言いますけれども、その霊体の目で見ているのです。
霊体が自分の肉体の外にあって、そこから光の玉を見ている状態です。
それからしばらくすると、抜け出ていた霊体が肉体のほうに入り込んでいきました。
それは、たとえて言うならば、掃除機に吸い込まれるような感じで、すーっと引き込まれるようにして肉体の中に入るのです。
肉体に入ると、ハッと気づいて、さっきまで見えていた光の玉は全く見えなくなってしまいました。
そのときは全く何の意味だか分かりませんでした。
ただ、なんとなく見守られている存在がいるから、安心して新天地に行けるという気持ちになったのは確かであり、心がとても落ち着いたものです。
肉体に入っている魂が本来の自分自身
いわゆる幽体離脱と言われる、そのような経験があってから、人間というのは肉体がすべてではなく、肉体の中に入っているものが本当の自分自身なんだと気づきました。
それは魂と呼ばれるものであり、意識であり、エネルギー体であります。
そちらのほうが自分の本来の姿であるということ。
その魂の意識というのは途切れることがありません。
肉体から出ても、肉体に戻っても、意識は変わらないのです。
ただ一つ、違いがあるとすれば、肉体から抜け出ているときには見えたものが、肉体に戻ると見えなくなるということです。
魂というのは肉体の目では見えません。
私が見た光の玉も肉体の目では見えないのです。
しかし、肉体から離れればそれが見える。
これは私だけではなくて、人間は誰もが寿命を終えて肉体から離れれば、見えるようになるものなのです。
人は死ぬことなく意識を持ち続けていく
人は肉体に宿って、数十年という時を生きていきます。
しかし、死んだ後も、人は死ぬことなく、意識を持ったまま肉体を脱ぎ捨てて生き続けていくのです。