死は無になり消えてしまうような怖いことではない

永遠の魂

人は死んだら無になって終わる?

「人は死んだら無になる」、「存在が消えてなくなる」と思っている人もいるかもしれませんけれども、本当はそんなことはなくて、「死んだら真っ暗になって何もかも終わり」ということもありません。

それは肉体がすべて、物質がすべてという考えからくるものであって、心や魂というものが完全に抜け落ちてしまっており、真実を捉えているとは言えないものです。

死んでも人の命は終わらない

人間は死を迎えても命が終わるわけではなく、肉体から魂が離れるだけで生き続けていきます。

肉体が自分自身なのではなくて、魂のほうが自分自身であり、人の本来の姿というのは魂のほうでありますから、魂で思うことも考えることも変わらずにできて、意識も変わらずにあるのです。

ただ、肉体がないので、この世のモノに触ることができません。

そして、肉体を持っている人たちからするとその人の存在が見えなくなってしまったので、消えていなくなってしまったように思えるんですけれども、肉体の目には見えませんが、確かに生きており、その人の存在が消滅するようなことはありません。

死んだ経験もないのになぜ人は死なないと言えるのか

「実際に死んだらどうなるのかということは死んでみないと分からないじゃないか」、「経験したこともないのに、どうしてそんなことが言えるの?」と言われる人もいらっしゃいます。

死というのは、魂が肉体から離れることです。厳密には、魂と肉体をつないでいるシルバーコードというものが切れて離れることですが、実はシルバーコードが切れなくても、魂が肉体から離れるという経験は誰もが毎日していることであって、ただそれに気づいてないだけなのです。

たとえば、毎日私たちは眠りますよね。

そのとき、睡眠中には魂が肉体から抜け出して、肉体から離れてあの世に帰り、エネルギーをチャージしてまた肉体に戻ってきます。

睡眠中に見ている夢も、実際はあの世に帰っているときに経験していることも多いものです。

ただ、目覚めるとあやふやになって、よく覚えていないということが多いだけで、魂が肉体から離れているときの状態を、人は本当は毎日体験しているのです。

それは人が死んだ後にスムーズにあの世に帰れるように、そして、あの世のことや自分自身が霊的な存在であることを忘れないようにするためにそのような経験をしているとも言えるのです。

肉体は魂がまとっている洋服のようなもの

自分自身が空中から自分の肉体を見つめていたり、肉体から抜け出す「幽体離脱」と言われる経験をしたことがある人からすれば、いかに肉体というものが洋服のようなものであるかということが実感を持って感じられるものです。

ソクラテスというギリシャの哲学者は、道端に立ったまま何日も動かないでいたという逸話もありますけれども、実際は幽体離脱をしてあの世に行き、あの世の人たちと話をしていたとも言われています。

「幽体離脱をした後、自分の肉体がどこにあったか分からなくなって、肉体に戻れなくなることはないのか」という疑問も出てくるかもしれませんが、そのようなことはありません。というのは、シルバーコードで肉体とつながっていますので、それを辿ってちゃんと身体には戻ってこられます。

魂が地上の肉体を離れてあの世にやって来ている人の場合、頭にその銀色の糸のようなシルバーコードがついているので、あの世にいる人が見れば「この人は地上からやってきた人なんだな」と分かるものです。

死は怖いものではなく、人が本来の姿に戻るとき

死というのは、怖いものでもなければ、訳の分からないことでもなく、肉体に宿っていた魂が肉体を脱ぎ捨てて、あの世と言われる本来の自由な世界に帰っていくことであり、むしろ、喜ばしいことであります。

死んでしまえばすべてが終わりということはなく、それまでの記憶も持ったまま、人間は本来の姿である魂として生き続けていきます。死というのは決して怖いものではないのです。