科学と宗教は相容れないものなのか
科学と信仰について、みなさんはどのように思われているでしょうか。
それらは全く別物だと考えている人も多いかもしれません。
科学とは客観的、理性的なものであり、論理や実験によって体系化された知識や経験を言うものであります。
一方、信仰とは神の存在を信じ、神の教えを信じて生きることであります。
そこには、客観的な理由や証拠を抜きにして、信じる心や個人的な確信があるわけです。
これらは一見すると相容れないように思えます。
しかし、本当の科学者というものは深い信仰心を持っていることが多いのです。
偉大な科学者は圧倒的な信仰心を持っている
例えば、ニュートンはキリスト教の研究に熱心に取り組んでおりましたし、アインシュタインは「宗教のない科学はかたわであり、科学のない宗教は盲目である」とたとえていたとも言われます。
また、進化の進んだ惑星において、科学者の人たちは圧倒的な信仰心を持ち、心の中で神と出会っています。
まさに宗教者以上に宗教者であるとも言えるのです。
一人ひとりの悟りによって新たなビジョンは開けていく
もし現代の科学に限界があるのだとすれば、それはなぜなのか。
それは今の地球の法則だけで、自力で考えているからなのです。
神の法則を無視して、大宇宙の法則というものを受け入れていく方向性がないからであります。
一人ひとりの心の中で、神と出会う悟りというものがなければ、新たなビジョンは開かれていきません。
神の前に自らを捧げる謙虚さ
歴史の中に現れてきた天才的な科学者たちは、深い信仰心の中で天上界のインスピレーションを受けて新たな発見をしてきました。
そのような時代を動かすインスピレーションは、神の前に自らを捧げるような謙虚な気持ちがなければ降りてこないものです。
そのような謙虚な心ではなく、自分を偉いものとして傲慢になる人は、逆に地獄界のものたちが指導をし、悪のインスピレーションを与えるようになります。
そして、宗教の名のもとに殺し合いをさせて、地上を絶望に満たそうとする。
そのように光と闇の引っ張り合いというものがあるのが現実の姿なのです。
科学とは神の意志の表現媒体
物質がすべてであるという唯物思想によって、目には見えない神など信じないというのは誤りであります。
目に見えて、実験に裏付けられ、証明されたものだけが真実であるというのは間違った科学万能信仰です。
本来の科学とは何でしょうか。
それは神のご意志を表現する表現媒体であります。
科学とは神のために奉仕する手段であります。
神の子たちが地上での修行を円滑なものにして、その魂の進化発展のためにお役に立つために、様々な発明や発見をしているものなのです。