同じ中東に降ろされた三つの教え
かつて同じ中東の地に降ろされた三つの教えがあります。
それはユダヤ教、キリスト教、イスラム教です。
それぞれの創始者は、ユダヤ教がモーゼであり、キリスト教はイエス・キリストであり、イスラム教はマホメットです。
それぞれの宗教の違いで互いに争い、傷つけ合っている現状もあるかもしれませんけれども、元々、神理は一つであり、すべては神の愛の教えから始まり、そこに帰結していくものです。
モーゼがヤハウェと呼んだ人も、イエス・キリストが天なる父と呼んだ人も、マホメットがアラーと呼んだ人も、本当は同じ一人の人であり、エル・ランティという存在です。
一人の同じ人が三つの顔を持って指導されてきた
救世主の役割を果たす人が地上に生まれて大きな宗教が起こるとき、天上界から多くの高級霊が地上に生まれた救世主を指導されます。
ある時には奇跡を起こしたり、インスピレーションを与えたり、その人の口を通して言葉を語ったり、様々なことがあります。
天上界からヤハウェとしてモーゼを指導したのも、天の父としてキリストを指導したのも、アラーとしてマホメットを指導したのもエル・ランティであり、同じ人であります。
一人の人が三つの顔をもってそれぞれの宗教を導いてこられたのが真実であり、それらが別々の宗教に思えても本来は同じ存在を崇めているのです。
宇宙の神は一つであり、愛の教えは一つ
エル・ランティがそのようなことをされたのは、一つの神理のもとに様々なバリエーションとして宗教を起こすことで、様々な個性を持った神の子たちが学びやすいようにするためです。
宇宙の神は一つであり、神の愛の教えは一つであり、その教えの様々な側面を宗教のバリエーションとして、私たちの魂を進化させるための学びの材料として与えられてきました。
地球に生きている私たちは様々な星からやって来た魂も多いのです。
そのように多種多様な個性を持っている魂たちにとっては一方向だけの学びの材料だけよりも、多方向において学びの材料を用意したほうが学びやすいですし、学びの幅も広がります。
しかし、様々な学びの方向性があったとしても、行き着くところは同じであり、一人ひとりがいかに愛を深めていくかということに魂の学びは尽きているのです。
一つの宗教しか経験していない人はいない
私たちは魂を成長させていくプロセスにおいて、過去世を含めて一つの宗教しか経験していないということはありません。
今、イスラム圏に生まれている人であっても、魂の歴史の中で、必ずキリスト教やユダヤ教のもとにも生まれており、それだけではなく、仏教などのもとにも過去生まれて、様々な教えのもとで学んでいる魂の学びの過程があります。
一つの宗教だけしか学んでいないという人はおらず、今キリスト教を信じているという人であっても、過去世では同じようにイスラム教を信じ、ユダヤ教を信じて、魂の学びを続けてきました。
私たちは救世主たちによって地上に降ろされるそれぞれの教えを学びながら魂の器を広げ、進化成長を続けているのです。
ですから、宗教の違いで争って傷つけ合うことほど無意味なことはありません。
すべての教えは一つの神に通じており、そこから枝分かれした尊い神の教えであり、どちらが正しいとか間違っているとかいうことはなく、愛の教えのバリエーションとして現れているものなのです。
魂としての卒業テストの時期
それらの過去の転生の学びを通して今の時代に問われていることは何でしょう?
それはいかに愛を学んだかという一語に尽きています。
魂の奥深くで愛とは何かを学び、いかにそれを生きられるか。
私たち神の子にとってはそれが最も大切なことです。
元々様々な他の星からやって来た魂たちにとっては今が卒業テストの時期でもあります。
そのテストを通して次の段階に進む人もいれば、まだ学び終わっていないということで復習に入る人もいれば、また新たな学びの可能性を求めて別の星へ移っていく人もいるのです。
どのような段階であったとしても、魂の学びとは愛の学びであり、すべては神の愛の教えから始まり、すべてはそこに帰結していくものなのです。