神は本当に存在しているのか
信仰とは何でしょうか。
「信じて仰ぐ」と書いて信仰ですけれども、何を信じて仰ぐのか。それは神であって、信仰とは神の存在を信じることです。そこには自分よりも大きな存在としての神を仰ぎ見る、敬う気持ちがあります。それが信仰の原点です。
しかしながら、神は私たちの目には見えませんし、本当に存在しているのか分からないと思う人がいても不思議なことではありません。神に会ったこともないし、いるのかいないのかも分からない存在を敬うことなんかできないという人もいるかもしれません。
しかし、そうであったとしても、神の存在を心で信じること。神はいらっしゃるのだと信じること。矛盾しているように思えても、理屈や経験を超えたところで、ただ神を信じて敬うこと。それが信仰というものの原点だと思うのです。
神近き人々により地球人類は導いてこられた
日本では神社で神のような素晴らしい存在を奉っていて、私たちはそこで祈ったりすることもありますけれども、そこで崇められている存在は、はるか昔に実際に日本に生まれて肉体を持った偉大な人たちです。
当時、私たちと同じように肉体を持ち、国をつくり人々を教え導いていたとしても、二千年も三千年も経てば神話のようになり、その存在も神話の登場人物のようになっていくものです。
天照大神や天御中主神、伊邪那岐命と呼ばれる人たちも、実在した偉大な、神近き方々であり、人間の肉体に宿って人格を持った指導者として人々を導かれました。そのような姿をもって、神のような存在として現在でも信仰されている。
それは日本神道だけではなくて、世界の宗教においても同じような形で多くの人々を教化してこられたのです。キリスト教しかり、イスラム教、仏教もそうです。救世主と呼ばれる人が肉体を持ち、神のような存在として、人々の尊敬を受けながら法を説かれる。
それによって私たち地球人類は多くの学びを得ながら、魂としての霊的な成長を遂げてきました。
しかし、そのような偉大な指導者の方々も、神のような姿でもって地球を導いてこられたわけですけれども、神そのものではなく、私たちの先輩のような存在であるのです。
神とは大宇宙に満ちている愛のエネルギー
神とはこの大宇宙をつくられた愛のエネルギーであり、愛の法則です。大宇宙に満ちている愛のエネルギーであり、そこに流れている愛の摂理そのものです。
宇宙に存在しているあらゆるものをつくり出し、生かし、育まれている愛のエネルギー。それが神と呼ばれる存在であり、宇宙の創造主そのものです。
私たち人間も含めて、この大宇宙に存在しているあらゆるものは、その大いなる神から命を分け与えられています。神が愛のエネルギーであるように、その一部を切り取るようにして分けられていった存在が私たち神の子であり、神の一部として存在している、小さな愛のエネルギーです。
信仰というとき、神と自分は別々の存在のように思う人もいるかもしれませんけれども、そうではなくて、神と自分は離れているわけではなくて、一体なのです。神の一部が自分自身であり、神の個性の一部として自らの命があるのです。
その意味で、自らの命は自分のものではありません。それは神から預けられている命です。
信仰は奇跡をもたらす
そして、信仰は奇跡を呼ぶものです。人間では起こせないような奇跡が信仰によってもたらされるのではないでしょうか。
それは神がこの大宇宙を創造されたという、その巨大なスケールの愛というものを思えば、神に通じるエネルギーを引いてこられるのであれば、不可能なことは何もないのだと思います。
それはたとえば、モーゼが紅海を割ったという奇跡にも示されているように、人間では考えられないような奇跡的なことが起こる。それも信仰による力だと思います。
信仰とは宇宙の神とともに生きること
信仰とは神とともに生きることです。
愛そのものである神の子として、神の一部として、神の思いを感じ取り、自らに与えられた個性を活かしながら神の願いを宇宙の中で実現していくこと。
それが信仰の体現であり、神とともに生きることなのだと思います。