祈りは本当に叶うのか【通じる祈りと通じない祈り】
普段の日常の中で、「祈る」ことはありますでしょうか。
よく神社などにお参りに行ったときに、自分の願いが叶うように祈ったりすることもあるかもしれません。
また、家族などが重病で入院したときに、回復するよう神に祈るようなこともあるかもしれません。
そのときには思いの中で、何か祈りの言葉を念じているのだと思うのです。場合によっては、声に出して祈りの言葉を発することもあるかもしれません。
祈りにはエネルギーがある
祈りとはそのままエネルギーであります。
その念じている言葉は見えませんけれども、だからと言って、祈っても祈らなくても変わらないというわけではありません。
言葉にはエネルギーが込められていて、それを言霊とも言いますけれども、祈りとはエネルギーであり、イコール行動でもあるのです。
叶えられる祈りと叶えられない祈り
祈りには、「叶えられる祈り」と「叶えられない祈り」があると言われています。
たとえば、病気に対する祈りというのはどうでしょうか。
本人や家族が現代の科学では治療不可能な難病になってしまったとき、その病を治したまえと祈ったとします。その祈りは聞き届けられるのかと言えば、答えはノーとなります。
なぜなら、そのような難病は自ら設定して生まれてきているからです。
障がいと言われるものもそうですけれども、そのようなハンディキャップを背負ったり、突然、原因不明の難病になったりするのは、決して偶然ではありません。
それは今回の人生計画の中で自ら埋め込んできたことであり、そのような苦しみをもって一気にカルマを返されていくということもあるのです。その十分な償いとしてカルマを解消していくために難病になったり、障がいを持たれたりすることがあるのです。
そのような試練を通して魂を鍛えるために、ご自分で人生の計画書をつくってきます。ですから、そのような苦しみを退けてほしいという祈りがあっても、それをすべて退かしてしまえば、その人生そのものが失敗ということになってしまうのです。
祈りを叶えることが本当の意味で本人の幸せにつながるかといえば、そんなことはないのです。
祈りは必ず霊界にいる誰かがキャッチしている
祈りというものは必ず霊界の誰かに届くものです。
霊界で地上から上がってくる祈りをキャッチする人がいて、その内容が神のご意志に沿い、それが本人にとってもプラスになると判断されれば、叶っていきます。逆に、本人のためにならないと判断されれば、叶うことはないのです。
そのように霊界における判断というものがしっかりなされているのが実際のところなのです。
祈りが叶うにしても、適切な時期というものもあります。祈ったからといって、それがすぐに実現しないこともあるわけで、本人にとって一番適切な時期に願いが叶うように取り計らうことだってあるのです。
祈った後はすべて天にお任せする
地上に生きているときには、なかなか分からないこともあるものです。
ですから、祈った後は天に任せるという姿勢も大切です。あまりにもその祈りに執着するのはよくありません。
それが叶うか叶わないかは天に預ける。そのくらいの爽やかな気持ちで生きていくことです。