心とは大宇宙の神経細胞そのもの

心とは大宇宙の神経細胞そのもの

心とは何でしょうか?

心というのはとても奥深いものです。
心なくして私たち人間はありません。
心とは、人間の本質であると言えるのです。

たとえば、ある映画を見て、感動し、喜びを感じることがあります。 逆に退屈でつまらない映画であれば、そのような喜びはなく、場合によっては不快感を覚えることもあるかもしれません。

そのように喜びを感じたり、不快感を覚えたりしているのが心というものです。

私たち人間というのは、肉体の中に魂が宿っています。その魂の中枢部分が心と呼ばれるものです。

その心で、私たちは自分自身をコントロールし、ある意味で、管理しているとも言えます。肉体というのは乗り舟とも言われますが、その肉体舟を動かし、操作しているのが心なのです。

それぞれの人間が心というものを持ち、いろいろなことを感じたり、自らの肉体を操作しています。

なぜ、そのようにして、人は心というもので様々なものを知覚するのでしょうか。

心で感じ取ったものが宇宙の神に伝わっていく

心というのは、これは大宇宙に張り巡らされた神経細胞のようなものなのです。

この大宇宙というのは、神のお身体そのものであり、人間は神の一部として、目に見えないシナプスでつながったニューロンのように存在しています。私たちは別個に切り離された存在ではなく、霊的な意味では、みなが一つにつながっています。

ですから、それぞれの心が感じ取ったものは、神に伝わっていくのです。大宇宙の神経細胞である神の子たちが知覚したものを通して、神は宇宙の全体像をつかんでいるとも言えるのです。

たとえば、ストレスで胃が痛いとき、その胃の痛さというのは身体全体に響くようにして感じ取られるものです。身体の一部で感じ取っているものが全体に伝わっていくように、私たち一人ひとりが心でキャッチしているものは神に伝わっていくのです。

私たちは人生の中で、様々な経験をしますが、それは自分自身の経験になるとともに、同時に神ご自身の経験にもなっているのです。

心というのは、本来そのようなものであり、私たちが神の一部として、神の現われとして存在している証のようなものでもあります。

神とは、空の上にいる白い髭をはやしたおじいさんではありません。神はどこか外にいるのではなく、心の奥深くに入っていけば出会えるのです。心の奥深くで私たちは神とつながって存在しているのです。