善悪は神の子としての自分の心に問えば分かる

善悪は神の子としての自分の心に問えば分かる

善悪というのは、本当は人に教えられなくても分かるもので、それは神の子としての自分の心に問えば分かるものです。

自分の良心に問うたとき、それが善なのか、それとも悪なのかは自分で必ず分かります。

たとえば、悪なる行いをしたとき、必ず心に恥じるところがあったり、罪悪感と言ってもいいですけれども、そのような後ろめたさのようなものを心に感じます。また、そのようなとき、ちくっと心が痛むという人もいるかもしれません。

悪というのは簡単に言えば、神の意に反しているということです。神の思いとは異なる方向を向いているということです。

そのときに心が痛むというのは、ある意味では当然のことです。なぜなら、私たち一人ひとりが神の現れであり、神の小さな分身であるからです。

それぞれが神の一部そのものであり、小さな愛のエネルギーそのものですから、愛に反する思いを持ったり、行為をしたりすれば、心では「これは違うな。間違っているな」と無意識のうちに感じているわけです。

それが良心に照らした時の恥ずかしさや後ろめたさと言われるものであり、反対に善なる行いをしたときには心の温かさや喜び、充足感を覚えるものです。

それは誰に教えられたものでもなく、自分の心で元々そのように感じられるようになっているということです。

つまり、そのようなものを感じられることこそが、私たちが神の子であり、神の一部であることの証とも言えます。

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