色即是空、空即是色の本当の意味とは何か
般若心経に「色即是空、空即是色」という有名な言葉があります。
これは「色は即ち空であり、空は即ち色である」という意味なのですが、一体これはどういうことを言っているのでしょうか。
「色」というのは目に見えるもののことで、物質や肉体のことです。
手で触ることができるものとも言えます。
例えば、人間の身体もそうですし、動物も、植物もそうですよね。
確かに手で触ることができます。
一方で、「空」というのは目に見えないもののことを言っています。
これは「空っぽ」とか、「何もない」という意味ではありません。
五感でもって感知できないものを「空」と言っていて、例えば、霊や光の粒子などのことです。
そして、さらに言うのであれば、これは「神の愛のエネルギー」のことです。
神の愛のエネルギーが集まり、固まることで物質となっている
私たちの肉体など目に見える物質的なものというのは、愛のエネルギーであり、愛のエネルギーというものが一点に集まり、凝縮して固まることで物質になっているのです。
それが今度はバラバラに離れて、分かれていくことで、物質という形態からエネルギーの粒子にその形態を変えていく。
水は気体になったり、個体になったり、変幻自在にその形態を変えていきますが、それと同じことです。
たとえ存在形態が変わったとしても、水の性質というものは変わりません。
それと同じように、愛のエネルギーというものも、それが集まり固まれば物質にもなるし、バラバラになって離れれば、その物質はなくなるけれども、愛のエネルギー自体は変わらずに存在している。
水蒸気というものが目に見えないように、愛のエネルギーも目には見えないけれども、形態を変えて存在している。
それをもって、物質と霊というものは別々のものではなく同じ素材から成り立っており、不即不離であり、表裏一体であるということを「色即是空、空即是色」という言葉で表しているのです。
愛のエネルギーこそが神そのものであり、すべての根本
実はこの言葉の前に以下のような言葉がついていて、「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」となっています。
その意味は「色は空と異ならず、空も色と異ならず、色は即ち空であり、空は即ち色である」ということです。
これは、すべての根本は神の愛のエネルギーそのものであり、目に見えるものも見えないものも、その現れ方が異なっているだけなのだよということを別の言い方で言っているのです。
この愛のエネルギーこそが、すべての存在を成らしめているものであります。
それこそが神そのものであり、その愛のエネルギーの一部として、私たち人間も、動物も、植物も、すべてのものが存在しています。
すべての存在が神の一部であり、神の子として一つにつながっている
すべてが愛のエネルギーの現れであり、その現れ方が個性の違いによって異なるだけであり、一つの神から分かれた神の子どもたちであります。
すべてのものが神の一部として存在し、見えないエネルギーで一つにつながっているのです。
神というのは、宗教における教祖ではなく、神社に祀られている存在でもなく、この大宇宙をつくられた愛のエネルギーそのものであります。
この愛のエネルギーからすべてのものが生み出され、すべてのものが神の細胞として生きています。
神と出会うのはどこか遠いところを見るのではなく、自らの内に深く入り込んでいけば出会えるのです。
なぜなら、自分自身が神の一部であるからです。
この世と言われる三次元世界も、あの世と言われる四次元以降の実在界も含めて、この世界の成り立ちを示しているのが「色即是空、空即是色」という言葉であります。
すべての根本の根本が愛のエネルギーそのものであるのです。