教育の土台は神の子であるという信仰心から

神の子

学力や学歴という一つの方向性に縛られてしまう子どもたち

学生時代やその後も含めて、私は家庭教師や塾講師などをしていたことがありまして、子どもたちに勉強を教えるという仕事に携わりながら、どうすれば子どもたちの成長の役に立てるかということをよく考えていたものでした。

勉強と言われるものは、学校のテストで良い点を取ったりとか、志望校に合格できるようにとか、いわゆる「学力」と呼ばれるものをどう伸ばすかという面に特化していることが多いわけですけれども、もう少し大きな視点から見たときには「教育」という話になってきて、それは学力だけで測れるものではありません。

私はどちらかと言うと、勉強ができない子どもと接する機会のほうが圧倒的に多く、不登校の子どもの家庭教師などをしていたこともありました。

そういう子どもたちは勉強ができないことで、「自分には価値がない」とか、「自分は(周りと比べて)劣っている人間だ」と思い込んでいて、「そんなことはないんだよ。君は素晴らしい力を持っているんだよ」ということを伝えるためだけに、その子どもたちと関わっていたと言っても言い過ぎではないかもしれません。

人間は学力や学歴という一つの方向だけでしか価値を見出せないということなどはあり得ないにも関わらず、そのような価値観に縛られてしまう子どもたち。それは子どもたちの責任というよりかは、やはり私たち大人の責任なんだと思います。

教育の土台は私たちが神の子であるということ

教育の土台になるのは、本来、私たち人間一人ひとりは誰もが例外なく神の子であり、その人にしかない、唯一無二の素晴らしい個性を神から与えられているということです。

子どもたち自身がそのことに気づき、自らの個性を存分に発揮して生きていけるようにサポートすることが教育に関わる大人の役割だと思います。

子どもによって魂の個性は全く異なっているのであって、それを花開かせないように縛るような教育では決して上手くいきません。

子どもたちが「人間は神の子であり、自分は神に愛されている、かけがえのない存在だったんだ」と気づき、自分の中に埋め込まれた愛の力を最大限に発揮できるように、その力を引き出すお手伝いをすることが本来の教育の仕事です。

そのためには大人の側が多様な価値観を受け入れて、多様な個性を受け入れることができるだけの認識と器を持っていなければいけませんし、自分の向き合っている一人ひとりの子どもが神の子としてどのような個性を持っているのかを見抜く力も必要です。

教育の理念の最初に来るべきものは信仰心

現代の日本では、「神」や「信仰」というものは何か胡散臭い、怪しいという印象を持たれることも多いですし、教育の現場にそのようなものを持ち込むことは非常に難しい側面もあるかもしれませんけれども、そうであったとしても教育の理念として一番最初に置かれるべきものはやはり「信仰心」だと思うのです。

私たち人間が神によりつくられた神の子であり、神を信じる心を当たり前のこととして受け入れていくことが本来の姿であり、教育の最初に来るべき最も大切なことではないでしょうか。

なぜなら、それが根本的な真実であり、人間である私たちの存在の原点だからです。

この世界、この宇宙は神によりつくられ、あらゆる存在が神により生かされている。自分自身もかけがえのない神の子であり、それは自分だけではなく、他の人たちも同じようにかけがえのない神の子であり、人間に限らず、動物であっても植物であっても、鉱物であっても、同じ神の子として存在している。

すべてが神の愛の現れであり、それぞれの個性を生かして、互いに協力して、愛を表現していくために生きている。

そのような真実に気づき、神の子としての本来の姿に目覚めて生きていくことが最も尊いことだという認識を人々が持てるようになれば、教育も大きく変わっていきます。

自分が神の子であると信じること

ニートや引きこもりになっている人たちも、神の子としての本来の生き方ができないから、根腐れを起こしたように苦しんでいるように思うのです。

神の子としての素晴らしい力が自分の中にもあって、それを多くの人々の幸せのために生かしていく道を一歩でも歩き始めれば、その中で自らの価値を感じられるようにもなるし、生きがいも生まれてくるし、傷ついてきた自分のつらさや苦しみも自分には必要な経験だったんだと思えるようになるときが必ず来るものです。

私たち一人ひとりができることや得意なことはそれぞれ違いますし、個性も違います。だからこそ、その個性を補い合って、協力し合って、自分にできることで周りに貢献して、助け合って、より素晴らしい世界をつくっていこうというポジティブな思いで生きていける人たちが増えるようになることが教育において大切なことだと思います。

そのためにやはり根底にあるのは、一人ひとりが神の子であり、それを信じるということです。

私自身であったとしても、ただ自分が神の子であり、神の一部として存在しているということを信じているだけなのです。それを揺るぎなく信じているというだけなのです。そのことだけが神の子としての自らの証明と言ってもいいかもしれません。

この大宇宙の愛に抱かれて生きている私たち

地球よりもはるかに進化した宇宙の他の星々においては、自らが神の子であることはもう当然のこととして知っていて、愛を分かち合うために他の星々を飛び回り、使命を果たしている人たちもいます。

神は多様な愛の表現を喜ばれて、その神の子一人ひとりでしか表せない、それぞれの愛をこの大宇宙の中で表現してほしいと願っていらっしゃいます。

そのような宇宙の多様性の中で、神の愛に抱かれて生きているのが私たち神の子であるということを踏まえれば、子どもたちの教育も神の子としての愛を伸び伸びと表現でき、本来の自分自身の姿を生き生きと表現できるようになることこそが、これからの教育の姿なのだと思います。

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