人は心を通して神とつながっている
私たち日本人の多くは「神」と聞くと、「胡散臭い」とか「怪しい」とか、中には「何かの宗教?」と言われる人もいるかと思います。
しかしながら、実際に神とつながりがないという人はこの宇宙に一人もおらず、それは日本人でも外国の人であっても同じです。神と関係ないという人は一人もおりません。
とは言っても、「神なんか見たこともないし、いるのかいないのかも分からない」と思われる人もいるわけですけれども、神というのはどこか遠いところや空の上にいるのではなくて、私たち一人ひとりの内側にいて、一人ひとりがそれぞれの心で出会っていくものなのです。
私たちの心の中に神に通じる扉があります。その心を通して誰もが神と直接つながっているのです。
その心の扉を開けることで神と出会っていき、神がどのようなことを思われているのかを感じ取る。神が自分自身に何を願われているのかということに思いを馳せながら、自分がこの宇宙の中でどのような個性と役割を持って生まれたのかという自問自答を繰り返していく中で、神の一部であるという本来の自分自身に返っていく。
神は決して「こうしなさい」とか、「ああすべきだ」というような指示や強制はされません。ただただ何も言わずに黙って暖かく見守り、何の見返りも求めず、この宇宙のあらゆる神の子たちを生かされて、育まれていらっしゃいます。
心の扉を開けばそこには宇宙が広がっている
神とはこの宇宙に満ちている愛のエネルギーであり、私たち一人ひとりもその愛のエネルギーを分け与えられて、神の一部として存在しています。
自分の内側にある心の扉を開けば、そこに広がっているのは宇宙です。そこには圧倒的な神の愛と調和のエネルギーというものが広がっており、自分もその一部として存在しているということが感じられてくるものです。
それは自分一人だけではなくて、他の人たちもそれぞれがそれぞれでしか果たせない役割というものを与えられて、みんなが一つになってつながっているという一体感です。
その中で、神のお心、神の愛に同調、共鳴しながら自分にできることでお役に立っていこうという全体に対する奉仕の気持ちが生まれてきます。
宇宙の神の意識につながりながら、自らの立ち位置というものも弁えながら、自分に与えられた個性を生かしながら宇宙全体の進化発展のために仕事をしていく。それが宇宙において私たちより先を歩いている先輩たちの姿でもあります。
一人ひとりが神の神殿、神の社である
神との出会いは非常に個人的なものであり、一人ひとりが自らの心の扉を開けて出会っていくものです。
神社やお寺など、神仏を祀っている場所というのはありますし、そのようなところで神聖な気持ちを取り戻すということはあるかもしれませんけれども、神と出会うという意味では、本当はそのようなものはなくても、一人ひとりが神の神殿であり、神の社そのものなのです。
外に向かって拝むのではなく、自らの心の内側に入り込んでいけば、そこに神に通じる道があるのです。
「ああ、これまで気づかなかったけれども、すでに自分も神の一部だったんだ」という気づき。そして、「この宇宙でバラバラに放り出された無意味な存在なのではなくて、自分も必要とされて存在しているんだ」という喜びや安堵感というもの。それは存在の幸福感とでも言えるものかもしれません。
そのようにして私たちというのは一人ひとりが自らの心を通して神と出会い、神との結びつきを感じ取り、本来の愛の姿に戻っていくのです。