人は一瞬で生まれ変わります。
それまで自分を縛っていた鎖が解き放たれる瞬間というのがあり、その瞬間、雷が落ちたように身体が震え、心の底からある確信が湧き上がってきて、それまでとは180度人生が変わることがあります。
ある男子中学生の話ですが、その中学生はテストで悪い点数を取ったことがクラスで馬鹿にされて、それ以来不登校になりました。
それまで参加していたラグビー部の活動も全く参加することがなくなり、家からほとんど出なくなりました。
両親が離婚していたこともあり、その中学生は母方の祖父母が住んでいる市営の古びた団地で暮らしていました。
母親とは会えばケンカになるので、たまに電話で話すくらいでした。
唯一興味があるのはカードゲームだけで、たまに近くの公園で友達と会ってはカードゲームに興じていました。
中学二年生になると全く学校に行くこともなくなり、孫の勉強が心配になった祖父母は家庭教師を頼むことにしました。
年代が近い方がいいだろうということで、比較的年の近い20代の男性が家庭教師としてやってくることになりました。
その男子中学生は家庭教師が来ようと勉強する気など全然ありませんでしたので、「言うことなど聞くものか」と思い、授業時間中もすぐにカードで遊び始めたり、録画していたアニメを見始めたり、「やる気がしない」と言ってはその場で眠ってしまいました。
毎回先生が困っている顔を見てはいい気味だと思っていましたが、不思議なことにその先生は一度も怒ったことがありませんでした。
むしろ、一緒にカードゲームをしてくれたり、アニメを見ながら登場人物について質問をしてきたり、「勉強がしたくないならしなくてもいい」という感じでした。
「学校に行くべきだ」などとは一度も言われたことがありませんでした。
家庭教師がやって来てから一年ほど経ったころ、数学の計算問題をやっていたときでした。
中学生はどちらかというと数学は得意でしたが、そのとき簡単な問題を間違えてしまいました。
「オレはできないんだ」と中学生は言いました。
ノートとシャープペンシルを投げ出して、そっぽを向きました。
そのとき、家庭教師が「できる!」と言い始めました。
一瞬、間を空けて、「勉強だけじゃない。〇〇(名前)ならなんだってできる」と言ったのです。
その男子中学生は誰からもそんなふうに言われたことがなかったのでびっくりしていると、「絶対にできる。〇〇なら必ずできる」と確信的に、力を込めて、真っすぐに目を見て言うのです。
それを聞いて、彼の目からは涙が流れてきました。
その一言だけで、心の中で築いていたブロックが崩れていくのでした。
中学生は知らず知らずのうちに、「オレならできる」と泣きながら叫んでいました。
それから中学生は興奮した声で母親の携帯電話に電話をかけて、「オレはできるよ。オレは何でもできるよ」と話し始めました。
母親も訳が分からず驚いているようでしたが、ただただ黙って息子の話を聞いていました。
それからほどなくして、その家庭教師は来なくなりました。
仕事の都合で別の地方に移ることになったのでした。
その後、その中学生がどうなったかは分からないそうです。
しかしきっと、その後の人生においても、このときの家庭教師の言葉が一つの励みになっているはずです。
一番よくないのは自分なんかダメだと思い込み、自分のことを信じられなくなることです。
ダメな人間など一人もいません。
誰もが素晴らしく、かけがえのない存在であり、自分自身でそのことに気づいているかいないかだけの違いなのです。
それに気づけば、この中学生のように誰もが幸福感に満ちて、人間本来の素晴らしさを取り戻すことができるようになるのです。