もう少しキレイで美しい顔だったら
「もっとキレイで美しい整った顔だったら、もっと違った人生だっただろうか」と鏡を見て悲しくなったことはありますか。
特に女性にとっては、容姿の美しさというものが人生の中で大きな価値基準として捉えられていることも多いですよね。
もう少し自分に自信をつけたい。
自己肯定感を高めたい。
かわいいと言われたい。
そのような当たり前の気持ちを多くの女性が持っていて、今では気軽に整形するような風潮も一部にはあるかもしれません。
しかしながら、どのような肉体や容姿で今回の人生を送るのかは、実際には自分自身で生まれる前に決めてきているのです。
その容姿を自ら望み、選んで生まれてきた
私たちはこの世に生まれる前に今回の人生の計画を立ててきます。
親になる人とは親子の約束をしてきますし、どのような肉体をまとって生きるかということも含めて、自ら決めて生まれてきます。
それはつまり、今の容姿を自ら望み、選んできたということです。
容姿の美しさで持てはやされている他人を羨ましく思うこともあるかもしれませんけれども、それによって自惚れて高慢になってしまい、人を人とも思わないような人生を送ったらどうなることでしょうか。
容姿の美しさを鼻にかけて他者に対する優しさや労り、気づかいを見失い、人を傷つけ苦しめるような、愛とは程遠い人生を送ったとしたらどうなるでしょうか。
それによってカルマを作ってしまうこともあることを思えば、「そこそこの容姿でいい」と言って生まれてくる人も多いのです。
大宇宙における多種多様な肉体の美しさ
もう少し広い別の視点に立ってみたとき、肉体の容姿の美しさというのは、この大宇宙の中では非常に多様なものなのです。
それはこの地球の中においても、もちろん様々な人種や民族によってその姿形は異なり、それぞれの美しさがあるわけですけれども、大宇宙の中では私たちのような二本の手と二本の足で二足歩行する肉体を持った人類は「ヒューマノイド型」と言われています。
そのような形態だけではなくて、昆虫型や爬虫類型、馬型、イルカ型など、肉体の形状は多種多様なものがあるのです。
そして、それぞれがそれぞれの自らの姿形を美しいと思い、その姿形に誇りも持っています。
今の自分の容姿の中にある美を見逃していないか
たとえば、もしあなたの身の回りにウルトラマンに登場するバルタン星人みたいな形をした人間がいたらどうでしょうか。
ちょっと怖いといいますか、それを見て美しいと思うような人は地球人の中にはほとんどいないかもしれません。
しかしながら、実際にはあのような肉体をはじめ、私たちが思ってもみないような形の肉体を持った人たちが宇宙にはいます。
その人たちからすれば、自分たちの肉体に美しさを感じ、逆に地球人の姿形には全く美しさを感じないという人たちもいるのです。
神が創られたこの大宇宙の中では、様々な表現形態や美しさが花開いていて、そのすべてが神の子なのです。
そのような視点を持ったとき、自らの容姿に悩んでいるのは、実はただ単に美しさを感じ取る自分自身の感受性がないだけで、本当はその今の自分に与えられている容姿の中の美しさを見逃しているだけなのかもしれません。
どのような表現形態であれ、神の子はみんなそれぞれの美しさを醸し出しているものなのです。
美しさとは愛の表現形
人間神の子は、見た目でチヤホヤされることで自らの存在価値が高まるわけではありません。
元々、一人ひとりにはその容姿に関わらず、かけがえのない素晴らしさが埋め込まれていて、それはこの大宇宙の中で唯一無二のものです。
大宇宙の神によりその人にしかない素晴らしさを与えられて、生み出されているのが私たちという存在なのです。
その人だからこそ発揮できる、その素晴らしさを生かして他者の幸せのために愛に生きる。
その姿こそが最も美しいものです。
美しさとは愛の表現形だと言われますけれども、愛が表現されると、結果的にそこに美しさが現れるのです。
その愛の思いから出てくる言葉、しぐさ、行いなどのすべてが美となり、この世界に表現されていくのです。
外見だけがいくら美しく見えても、その中身に愛がなければ、それは本当の美しさとは言わないということです。
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