美しさとは、外側だけをどれだけ飾ったり、いじったりしても表れないものです。見た目を一生懸命に整えることで、一見すると綺麗に見えたとしても、それは本当の意味での美しさとは言えません。
美というのは愛の表現形だと言われますけれども、愛が表現されるときにそこには美しさが表れます。それは、愛という目には見えないものが、目に見える形を通して感じられるときに私たちは「ああ、美しい」と感じるということです。
たとえば、花を見たとき、それがどんな花であろうと、小さかろうが、大きかろうが、どんな形をしていようが、どんな色であろうが、「ああ、美しいな」と思いませんか。それは花が花として、どんな花であっても一生懸命に咲くことで見る人を和まそうという愛の思いで咲いているから美しさを感じるのです。
花であれば、本当に様々な花がありますし、その表現形態は多種多様ですけれども、そこに美しさを感じる根底にはどの花であっても愛が流れているからです。それがなければ、どんなにその花の形や色が綺麗であっても、美しさは感じないものなのです。
それと同じことが人間にも言えて、その内面に愛が溢れて、心が綺麗でなければ、やはり人は美しさを感じないのです。見た目にだまされて一瞬美しいと思っても、その相手と接する中で、人はそれが本当に美しい人なのかどうかを自然と見抜いてしまうものなのです。
その意味で、美しさというのは心の美しさであり、心を磨くことで美は表されます。エゴや我欲、自分さえ良ければいいという思いに振り回されるのではなく、愛や優しさ、思いやり、温かく他者を受け入れ、利他の思いで心を満たすことです。