愛と感謝は切っても切り離せない
今回は「愛と感謝」というものをテーマにお話できればと思っています。
愛と感謝というのは人間にとって本当に大切なものであり、生き様の中でそれを体現して一生を生きることができれば、これほど幸福感や充実感を味わえるものはないのではないか。
それほどまでに私たちにとっては根源的なものであり、常に心に留めておく必要があると思うわけです。
愛と感謝というものは切っても切り離すことができないものであります。
愛なきところに感謝なく、感謝なきところに愛はありません。
感謝は愛の実践のガソリン
愛と感謝はコインの裏表であり、表裏一体なのです。
ガソリンがなければ車が動かないように、心に感謝の思いがなければ愛の実践はできません。
愛の実践とは、自らがこれまでに受けてきた愛に気づき、そのことに感謝をし、その感謝をエネルギーに変えて他の人々を幸せにしていくことです。
それは義務感でやらなければいけないというものではなく、感謝の思いが心に湧くと自然と誰かのために身体が動いてしまうとでも言いましょうか。
誰かのためになるようなことをして自分もお役に立っていこうという気持ちが生まれてくるのです。
見返りを求めず光を送り続けている太陽
私たちが当たり前のように受けている、与えられているものは本当にたくさんのものがあるのではないでしょうか。
あの太陽もそうです。
太陽の光がなくなってしまえば、すぐにでも地球は凍りついて、私たちは生きていくことができなくなってしまいます。
一年中休むことなく、毎日毎日光を送り続けてくれている太陽。
太陽は私たちに何も見返りを求めることなく、ただただ無償で光を与え続けてくれています。
それこそまさに愛の姿、愛の表れであります。
それを当たり前だと思ってきたかもしれませんけれども、どれだけ私たちは与えていただいているのかということです。
すべての命を生かしめている水
水だってそうです。
地球には広い海があり、本当にたくさんの水があります。
水があることだって当たり前ではないのです。
すべての生命の源は水であり、その水により命が吹き込まれ、生かされているのです。
私たち人間であっても、この身体は約60%が水によってできており、水分を取らなければ生きていくこともできません。
水がこの地球の中を循環することによって万物に行き届き、その命が生かされているのです。
当たり前が本当は当たり前ではないという気づき
そのように私たちにとっては当たり前すぎることが、本当は当たり前ではないということなのです。
そのことに気づいたときに心に湧き上がってくるのが「ありがたい」という感謝の思いです。
それはどれだけ私たちは多くのものを与えていただいていたのだろうという気づきです。
そのありがたいという感謝の思いを、今度は自分が他の人の幸せのためにお返ししていこうということ。
それが愛の実践というものです。
人は誰かの手を借りずに生きてはいけない
そのような自然への感謝ということもそうですし、周りの人たちから与えてもらっていることもそうなのです。
私たちは誰かの手を借りずに生きていくことはできません。
この世に誕生した時には親や家族に育てていただき、学校では先生に教えていただき、多くのものを与えてもらってきたのではないでしょうか。
日常生活の中でも衣食住に満たされて、着るものだって、食べ物だって、住宅であっても、誰かがそれを作ってくれているからこそ、手に入れることができるわけです。
「お金を払って買っているのだから、そんなの当たり前ではないか」と言う人もいるかもしれませんけれども、それは当たり前ではないのです。
そのように本当は誰もが誰かの役に立ち、互いに支え合いながら生きているのです。
そのような認識を持てたのであれば、すべてのことに感謝が生まれてきます。
感謝報恩により愛は循環して広がる
そして、その感謝を、今度は自分が誰かのために恩返ししていこうという気持ちが湧いてくるのです。
それは「感謝報恩」とも言われますが、同じことなのです。
まず感謝の思いがあり、その感謝がエネルギーとなって、他の人々の幸せのために生かされていくということ。
感謝と愛というのはバラバラにあるのではなくて、一体であり、常に循環しながら広がっていくものなのです。
目には見えない世界への感謝
太陽や水、自然、地球への感謝。
そして、関わる人たちへの感謝。
そのようなことをお伝えしてきましたけれども、感謝というのは目に見えるものだけではありません。
私たちは目には見えない世界からも非常にたくさんのものを与えられています。
この地上の世界というのは、あの世の世界の理念や思いというものが反映されて創られているものです。
それはあの世の世界にいる人たちが地上の人たちを操り人形か何かのように操っているということでは決してありません。
地上に生きる私たちは何を思うのも、何を行うのも、その人の自由でありますし、その結果の責任は自分たち自身で引き受けなければいけませんけれども、それぞれの自由意志が最大限に尊重されています。
今地上にいる私たちであっても、元々はあの世に家があり、そこで生活をし、いっとき魂修行のためにこの世に生まれてきているのであって、本来はあの世の世界のほうがホームであり、「実在界」と言うのです。
あの世の中でも「天上界」と呼ばれる、愛深き人たちが住んでいる世界があり、地上の私たちを温かく見守り、助け、支援していただいているのです。
普段はそのようなことにはなかなか気づかないかもしれませんけれども、インスピレーションを降ろしたり、多くの手助けをしていただいて、この地上の世界の進化や発展を支えられています。
そのことを思えば、天上界への感謝も芽生えてきますでしょう。
守護霊に対する感謝
そして、目には見えない存在の中で、それぞれの人にとって最も身近な存在と言えば何でしょう?
それが「守護霊」というものであります。
地上で生きているそれぞれ一人ひとりに必ず一名の守護霊がついています。
守護霊たちは常につきっきりで私たちを見守り、導いてくれているのです。
それはインスピレーションという形で、人生の中で道に迷いそうになったときには横からアドバイスをしてくれたり、何か危険が迫っているようなときはそれを避けさせようとしてくれたり、これもやはり本人が気づかないところで多くの手助け、サポートをしてくれているのです。
そのことに気づけば、やはり感謝の思いが湧いてくるものです。
大宇宙の神への感謝
そして、尽きるところ、感謝の行き着く先というのは、やはり根源の神を抜きにしてはあり得ません。
大宇宙の神への感謝というものです。
この大宇宙を創造され、私たち一人ひとりが神の命を分け与えられて、神の一部として、神の子として生み出された存在であるということ。
神がいなければ、私たちという存在もないのです。
その神の愛のエネルギーの循環により、宇宙のありとあらゆる存在が生かしめられ、育まれて、共に生きられているということ。
すべての始まりは神の思いが起点となって展開され、具現化され、この大宇宙に脈々と神の愛が流れて表現されてきました。
私たち自身もそれぞれが神の愛の表現体であります。
そのように生み出され、創造されたことへの感謝を神に捧げて生きるということ。
神への感謝を謳(うた)いながら、すべての神の子たちと共に一体感をもって手を取り合い、愛ある世界を創り出し、神の愛に報いていく。
それこそが愛と感謝の根源であり、すべての根本であります。