「いつか死んだら全て消えてなくなってしまう。であるならば、生きている意味など何もない」
十代の終わりごろ、そんなふうに思っていました。
「死ねばそれまでの努力は水の泡。いくらがんばってみたところで、死ねば全てが終わり。それまで学んだことも、肉体が焼かれて灰になれば、無意味なものになるのだから」
そんなふうに思っている人も多いかもしれません。
私自身そう思っていました。
自分の肉体が自分自身だと思い込んでいたのです。
肉体がなくなれば、自分自身も消えてなくなると思っていました。
しかし、肉体がなくなっても、消えることなく存在し続けるものがあります。
それが魂と言われるものです。
魂は消滅することなく、永遠に生き続けています。
私たちの本来の姿は、魂というエネルギー体であり、魂が本来の自分自身なのです。
その魂の一部が肉体に宿り、私たちはこの世で生きています。
肉体はあくまでも魂が宿るための乗り舟のようなものです。
私たちは乗り舟を動かして、人生という川を下っていきます。
櫂(かい)を使って左へ行ったり、右へ行ったりしながら川を下っていきます。
ときには疲れて岸に上がって休むこともあります。
また、川下りの途中で岩にぶつかって、舟の一部が壊れてしまうこともあるかもしれません。
そうしたら、舟の補修をして、再び川を下っていく。
川下りをしている途中で、私たちは様々な判断、決断をして、舟を動かしていく。
舟はいずれ河口にたどり着き、そこで乗り舟を降ります。
人の一生というものは、このように川下りに例えることもできます。
肉体という乗り舟から降りると、私たちはあの世に帰っていきます。
あの世に帰ってから、誰もが魂として生き続けています。
死ねば全てが終わりということではありません。
生きているうちに思ったことや言ったこと、行ったことなどは、自分の魂に刻まれます。
それらの魂に刻まれたものだけを持って、私たちはあの世に帰っていきます。
「あなたは何を魂の学びとして、あの世に帰っていきますか」と問われているのが私たちの人生です。
人生に無駄なことは一つもありません。
どんなに些細なことであったとしても、魂の成長の糧になります。
魂の成長というのは、どれだけ多くの人を愛することができるようになったか、ということです。
人生というものを通して、愛の深さや幅広さを学んでいるのが私たちの魂なのです。