あの世とは証明するものではなく発見するもの

この世とあの世

あの世という目には見えない世界から私たちは生まれてきました。

そして、この世での人生修行を終えて寿命をまっとうすると、肉体を脱ぎ捨ててあの世へ帰っていきます。

「あの世なんか存在しない」、「本当にそんなものがあるなら証明してみせろ」と言われる人もいるかもしれませんが、あの世という存在を証明する必要というのはないのです。

なぜなら、それは現にあるものだからです。

例えば、コロンブスが西インド諸島を発見したわけですが、その発見の前からアメリカ大陸というものがそこにあり、人々が住んでいたように、あの世というものもすでにあり、そこで多くの人々が生活しております。

私たちも元々はそこで生活していたわけで、この世に生まれてくるときにあの世での記憶を消してゼロからスタートする。

それぞれの課題をもって新たな人生を一から生きる。

そして、様々な経験をして、あの世では出会えない多くの人たちと出会い、互いに学びを深めてあの世へ帰っていく。

人間というのはこの世にいる時間よりあの世にいる時間の方が圧倒的に長く、永遠の命の中で地上での人生など本当に短くあっという間に終わっていくものです。

あの世というのは証明するものなのではなくて、現にあるものを発見することなのです。

気づくものであるのです。

それに気づかないで生きていれば、本当の意味での生きる意味も分かりません。

この世だけの人生の意味なのではありません。

この世の延長にある、あの世をも貫いている命の意味。

死ぬことなく生き続ける魂という自分という存在は何のためにつくられたのか。

究極的にはそれを追求していくことにつながるのです。

あの世という目には見えない世界が現実にあり、それを信じる信じないにかかわらず、受け入れる受け入れないにかかわらず、その世界から私たちは肉体を持って生まれ、肉体を脱ぎ捨ててそこに帰っていく。

それが私たちの実際の姿なのです。