人が最後の最後まで捨てきれない所有欲~「ロード・オブ・ザ・リング」が示すもの~

愛の実践

「ロード・オブ・ザ・リング」

お正月に「ロード・オブ・ザ・リング」の映画を見ました。ご存知の方も多いと思いますけれども、フロドというホビットの青年とその仲間たちが一つの指輪を巡る冒険と戦いの物語です。

その指輪は力の指輪とも呼ばれ、世界を破滅させるために冥王サウロンによって作られたものです。

その指輪にはサウロンの邪悪な念が込められており、フロドたちはその指輪を捨てるための旅に出るわけですが、その指輪を奪うために様々な追っ手が現れ、激しい戦いが繰り広げられます。

非常に引き込まれる物語で、一気に三部作を見てしまいました。

所有欲や執着を捨てることがいかに困難か

ここからは私の個人的な感想で以下ネタバレも含まれますが、三部作を通して一番思ったことは、いかに人が所有欲や執着を捨てるのが難しいかということです。

一つの指輪という、邪悪の象徴ではありますけれども、一つしかないという、ある意味で貴重なものを通してそれを自分だけのものとして独占しておきたいという所有欲。

その思いは主人公のフロドでさえ、その指輪を持っているうちにむくむくと湧いてきて、最後の最後になって指輪を捨てきれないという姿も露呈されることになりました。

また、ゴラムというキャラクターも指輪の魔力に取り憑かれ、指輪を自分のものにしたいという執着に駆られ、最後はその執着によって自ら滅んでいきました。(結果的に、ゴラムのその執着によって指輪が破壊されることにもつながったわけですが)

「ロード・オブ・ザ・リング 」三部作のほかに「ホビット」三部作も見たのですが、どちらも人はそんな簡単には所有欲や独占欲、執着を捨てきれないということをまざまざと感じましたし、一度所有すると今度はそれを独占し、守ろうという欲が出てくることも明快に描かれています。

所有欲に欠けているのは分かち合うという愛の思い

所有欲というのは結局のところエゴの思いであって、自分さえよければいいという思いでしかありません。

そこに欠けているのは分かち合いの思いであり、愛です。

愛を忘れたときにむくむくと心の中に膨れ上がるのが所有欲というものです。

人間というのは元々他の人々のために生きたときに幸せを感じるようにつくられていますから、愛を見失い、自分のためだけに生きたとき、どんどん本来の神の子の姿から遠ざかっていくことになります。

するとどうなっていくでしょうか。

ただただ苦しくなっていくだけなのです。

「これで自分は幸せになれる」と思っていたのに、逆にどんどん苦しみが大きくなってくる。

それは本来の神の子としての自分自身からかけ離れた方向へ進んでいるからに他なりません。

人が幸せになるのはそんなに難しいことではないのです。

愛をもって他の人々の幸せのために生き、独占するのではなく、多くのものや貴重なものを持っているならそれらを分かち合って生きる。

それだけでその人は十分幸せになれるのです。

自分の名誉や評判、価値のためにそれらがあるのでもなければ、相手よりも優位に立つためにあるのでもなく、それらを独占しているから幸せになれるのでもありません。

持てば持つほど今度はそれを守るため、奪うための争いや戦いが起きて平和や調和が崩されていくのです。

愛の思いを持って生きることが最も尊い

現代の私たちで言えば、それはたとえばお金やエネルギー資源に当たるとも言えるかもしれません。

多くを持っている人や国、地域で独占しているから、それらを巡って争いが起きるのであり、ただ分かち合えばいいだけなのです。

地球の中で必要なところがあるなら、そこに分かち合っていけばいいだけではないでしょうか。

そのような愛の思いを持って生きることが最も大切なことであって、それが私たち神の子にとって最も尊いことであるという価値観が人々の間に根付いていくように、今年もできるだけのことを伝えて生きていきたいと思った2022年のお正月でした。

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「ロード・オブ・ザ・リング」が描く極限の所有欲 - ヒカリのトビラジオ | stand.fm
「ロード・オブ・ザ・リング」がそのストーリーを通して最も伝えたいことは何だったのでしょうか。人間が所有欲を捨て去ることの難しさと、そこに決定的に欠けている愛の思...

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