「真善美」という人生の指針

幸せになる生き方

「真善美」という言葉が意味するもの

人間が大切にすべき基本的な価値観や行動規範として挙げられる「真善美」というものがあります。

ユニクロ創業者の柳井氏も、この「真善美」の実践を心がけていると言われていたり、また弓道では高い指標としてこの「真善美」を掲げていたりもします。

私たちが生きていく指針として大きな意味を持っているこの「真善美」について、神理の側面から見たときにどのような意味があるのか。それについて今回はお話してみたいと思います。

「真」とは宇宙の真実であり、神理であり、神の思いそのもの

まず、「真」というものについてですが、「真善美」の中で最初にこれが来ています。「真」というのは何でしょう? それはこの宇宙の真実であります。

真実というのは、つまり、この大宇宙を貫いている普遍的な法則のことです。それは「神理」や「法」と言われるものでもあり、この大宇宙をつくられた神の思いそのものです。

なぜ私たちは存在しているのか。そして、私たちは本質的にどのような存在なのか。私たち人間も含めて、この大宇宙のあらゆる存在をつくられた神はどのような思いや願いを込めてそれらをつくられたのか。

「真」というのはそれらのことを指しているのであり、一言で言うならば、神の思いそのものであるということです。

「善」とは善く生きるということ

そして、「真」の次に来るのが、「善」というものです。善悪などと言われることもありますが、この「善」はどのようなことを言っているのでしょうか。

元々、「善」という言葉の意味は「正しいこと」、「道徳にかなったこと」などというものです。

それらを踏まえた上で、人生の指針としての「善」というのは一言で言えば、「善く生きる」ということです。ただ生きるのではありません。「善く」生きる。

ここで言っている「善い」というのは、「真善美」の最初にあった真実なる生き方をしているかということです。

「真善美」というのは一つずつ順番になっていて、「真」が理解されて身につけば、次に自然と「善」なるもの、「善く生きる」ということが可能になる、ということを意味しているのです。

神の思いというものを知り、宇宙の法則を知ったとき、人間は生き方が変わってきます。神の思いの方向に沿った生き方をするようになってきます。それをここでは「善」という言い方で表しているのです。

神の思いを知り、神が願われているような生き方をすれば、それは自然と「善い」ものになっていきます。むやみに他人を傷つけたり、苦しめるようなことはしなくなります。なぜなら、神は神の子たちが互いに争い、傷つけ合ったり、殺し合うようなことは決して望まれていないからです。

ここで「真」というものを知っているだけでは不十分であるということに気づく人もいるのではないでしょうか。全くその通りでありまして、ただ知っているだけでは片手落ちであるのです。

「真善美」は一つ一つが順番になっていると言いましたが、「真」を知った後にはそれを行動の中で示せるかということが問われているのです。つまり、「善く生きる」ことができるか。神の思いを知った上で、その思いに沿って生きる。別の言い方をすれば、行為や行動の中に神の思いが重なっているときに「善」が表れるということでもあります。

「美」とは神の愛のエネルギーの表現形

そして、そのような善い生き方をしたときに、「美」というものが出てくる。すなわち、神の思いに沿った行いや生き方がこの世界に表現されたとき、それは「美」になっていくということです。

「美」というと、表面的なことだけで捉えることもあるかもしれませんけれども、本当はそうではないということが、こう見てくるとよく分かるのではないでしょうか。

「美」というのは、神の思いに裏打ちされたものであり、ただの飾りやデコレーションなどではなく、その人の思いや行い、別の言い方をすれば、生き方、生き様を通して醸し出されてくるものであるということです。

ですから、「真」のないところに「美」はないですし、「善」のないところにも「美」はありません。表面だけをいくら変えても、それは本当に美しいものではないということです。

つまり、「美」とは、一言で言えば、神の愛の思いが目に見える形を取って表現されたものです。

そして、その「美」を通して、人々の心を感動させて、潤し、幸せにしていくことにもつながっていくものです。

人生の指針としての「真善美」

このように「真善美」というのは、実は私たちが生きていく上での人生の大きな指針になるものです。

これまでの自らの生き方を振り返ってみるときにも役立つものですし、これから先の人生をどう生きるかのヒントにもなるものです。

もし、人生に悩み、生き方に悩んでいる人がいれば、この「真善美」というものを胸に留めて歩まれてみてはいかがでしょうか。そこから必ずや何かしらの気づきやヒントを得られるはずです。