鑑真・ミケランジェロ・ピカソ──三つの時代を生きた同じ魂の系譜
時代も文化もまったく異なる三人の巨人──鑑真(688–763)、ミケランジェロ・ブオナローティ(1475–1564)、パブロ・ピカソ(1881–1973)。
仏教戒律を日本に伝えた高僧、ルネッサンスを代表する天才芸術家、そして20世紀アートの革命児。
その肩書きだけを見れば、彼らに共通点があるとは思えないかもしれません。
しかし、その魂の軌跡を辿るとき、そこには驚くほど共通した「使命」と「役割」が浮かび上がってきます。
実は、この三人は同じ魂がそれぞれの時代に転生した姿であるのです。
鑑真──霊的秩序を日本に根づかせた旅の僧
鑑真は、中国・唐の高僧であり、日本に仏教の戒律(律宗)を伝えた人物です。
六度にわたる日本渡航の試みの中で、何度も嵐に遭い、最後には両目を失明しながらも、決してあきらめることはありませんでした。
その行動は宗教的な布教にとどまるものではありません。
奈良・唐招提寺の建立を通して、建築、彫刻、医学、服飾など多岐にわたる唐文化が日本に移入されました。
言い換えれば、鑑真という存在そのものが、東アジアの霊的・文化的架け橋となったのです。
人々が乱れた時代にあっても、正しい法と精神的秩序を守ること。
そして鑑真は、盲目となっても、魂の目で見えた神理を日本に根づかせました。
ミケランジェロ──神の姿を形に刻んだ天才芸術家
時代は飛んで15世紀ルネサンス期のイタリア。
フィレンツェに生まれたミケランジェロは、彫刻・絵画・建築・詩のあらゆる分野で傑出した才能を発揮します。
若き日に制作した《ダヴィデ像》は、わずか26歳にして「神のごとき手を持つ者」と称賛されました。
彼の代表作《システィーナ礼拝堂の天井画》や《最後の審判》には、ただの宗教画を超えた、人間存在の苦悩と崇高さが宿っています。
ミケランジェロはこう語っています。
私は石の中にすでに神が存在しているのを見ている。私の仕事は、その神を解き放つことだ。
彼にとって芸術は単なる表現ではなく、目に見えないものを目に見える「形」として表現する神聖な行為でした。
人間の肉体と精神の緊張の中に彫り込んだその手は、美とは何か、神性とは何かを、この世界に降ろす使命を担っていました。
ピカソ──混沌から真実を引き出した革命児
そして20世紀。世界は戦争と革命と科学の爆発的進展という、かつてない激動の時代に突入します。
そこに現れたのが、パブロ・ピカソです。
《アビニヨンの娘たち》《泣く女》など、その筆は常に既存の美の枠組みを破壊し、世界の混沌を切り裂き、《ゲルニカ》は戦争の悲惨さを象徴する名作として語り継がれています。
ピカソはキュビズムという新しい視覚表現を生み出し、古典的な遠近法や写実主義を超えて、見えない本質、「神の世界」を描こうとしたのです。
彼が描いたのは、「見える世界」ではなく「見えない真実」。
魂の目で見たものを、色と線に変えて、世界に突きつけました。
そして晩年まで創作を続け、91歳でその生涯を閉じるまで、彼は「まだ私は探究の途中だ」と語っていたのです。
神の世界における創造と自由
それぞれの転生の歩みを重ねてみると、見えてくるものがあります。
ピカソの魂の転生輪廻におけるそれぞれの人生は、それぞれの時代に応じた形で、「神の子としての創造と自由とは何か」、「神の世界をどう表現するか」という問いに答えていたとも言えるかもしれません。
かつて外に神を求めた時代から、神を自らの内に見出す時代へ。
すなわち、一人ひとりが大宇宙の神の一部であり、クリエイティブな力を与えられた神の子であるという認識を私たち地球人類は持ちつつあります。
混沌とした現代だからこそ、神理を求め、美を探し、自分の内なる声に耳を澄ませようとする人が増えています。
もはや芸術や宗教は、特別な人のためだけのものではありません。
誰もが霊性に目覚め、神の子としての本来の姿を思い出す時代が来ているのです。
◾️ピカソからのメッセージ「もっと自由に、もっとダイナミックに」(アマーリエ)