命は肉体に宿るもの
私たちの命の起源はどこにあるのでしょう?
人間はそれぞれ両親が存在するからこそ受精をして、お母さんの子宮の中で細胞分裂を繰り返し、赤ちゃんとして生まれるものです。
私たちは父親と母親がいるからこそ、この世に生まれてくることは確かですけれども、それでは肉体的な祖先をずっと昔まで辿っていって、はるか昔の最初の肉体人間が命の起源なのかと言うと、そうではありません。
命というのは肉体に宿るものであって、肉体そのものや肉体の寿命のことではありません。
つわりはなぜ起こるのか
命というのは魂のことであり、私たちの肉体で言えば、妊娠してからだいたい三ヶ月くらいすると、赤ちゃんの魂が肉体に入ってきます。
よくつわりが起きることがありますけれども、つわりというのは赤ちゃんの魂の波長がお母さんの魂の波長と異なっているために起きるものです。
つわりがひどい場合もあれば、全くつわりがないという場合もありますよね。それは赤ちゃんとお母さんの魂の波長の違いによって起きているものであり、波長が異なれば異なるほど、つわりはひどくなります。
お母さんからすれば自分とは異なる魂を自らの中に受け入れているわけですから、その魂のギャップがつわりという形で現象化しているのです。そういう意味では、女性の子宮というのは魂を受け入れる霊的で神聖な器官とも言えます。
魂はどこからやって来て肉体に入るのか
では、その魂というのはどこからやって来るのか。赤ちゃんの肉体に入る前、魂はどこにいるのか。
それはどこからともなく現れて、なんとなく肉体に宿るということではなくて、魂には魂の住んでいる世界があり、それがいわゆるあの世と呼ばれる世界です。
あの世は実在界とも言われますが、それぞれの魂がそこで村のようなものを作って生活しています。周りには自分と似たような波長の人たちが住んでいて、話をしたり、ときには別の村の人たちと交流したりしながら互いに何かを学び合ったりもしています。
そこで私たちは永遠の時間を過ごして生きているわけですけれども、魂の学びを深めて成長進化していくために、いっとき自分の魂の一部が肉体に宿ることでこの世に生まれてきます。
地上は魂の修行場
私たちはあの世においても様々な学びをしているわけですが、それが本当の学びとして自分のものになったのかどうか。
あの世の世界というのは思いの世界ですから、ある意味ではいくらでも分かったような気になれるのであって、それが実際に実践できるかどうかを試すために地上の世界があるのです。
あの世で学んだことが肉体を持ってこの世で実践できなければ、「本当の意味では理解できていなかったね」となるのであり、学び直しということになります。
その意味で、この世の世界というのは魂の修行場のようなものです。
この世に生まれることで魂は進化し、成長する
この世に生まれてくることで、あの世では出会えないような人たちとも接する機会が生まれます。
それぞれあの世に帰れば、自分の住んでいる世界というものがあり、そこには自分と同じような考えや価値観を持った人たちばかりが住んでいます。波長同通の法則のもと、同じような波長の人たちが集まって住んでいるからです。そうなると、自分と異なる価値観や個性を持った人たちとはなかなか出会う機会がありません。
ところが、この世というのは、あの世の世界のあらゆる人たちが地上という一箇所に生まれてきているので、魂として自分よりもはるかに進化した人から学びを得ることもできますし、自分とは個性の違う人たちとも数多く接する機会が生まれて学びの幅が広がりますし、また、その個性の違いの中から自分自身の個性がより明確になったり、それまで気づかなかった進化の方向性が見えたりもします。
つまり、この地上に生まれてくることによって、あの世にいるだけではかなわない進化や成長、認識力の拡大につながるのです。
私たちはあの世からこの世へ何度も生まれ変わっている
もちろん、この世に生まれてくれば必ず魂の進化につながるかというとそんなこともなくて、地上における人生は地上に生まれた魂に委ねられており、愛豊かに生きることで魂として成長していくのか、それとも愛を忘れて自我に振り回され退化していくのか、どんな生き方をするかはすべて本人に任せられています。
どのような人生を送るにしても、あの世に帰れば今回の人生を振り返り、反省すべきことは反省して、しばらくすればまた新たな課題を持って、別の時代の中で、この世に生まれてきます。
そのように私たちはあの世からこの世に何度も生まれ変わりながら魂を成長、進化させ、生き続けているのです。
すべての魂の源は一つ
それでは、私たち自身の命そのものである魂の起源はどこにあるのでしょうか。
たとえば、どんな川にも源流がありますよね。その源流が低いところへ流れて、様々な小さな支流に分かれながら、ときにはいくつかの支流が一つになったりしながら川は流れていきます。
その支流は支流によって名前が変わったりもしますけれども、源流まで遡っていけば最初の始まりになっている地点があり、そこから水が湧き出していたりして川が始まっています。
それと同じように、それぞれの魂も大元をたどれば一つの源流があります。そこから大きな川が様々な支流に枝分かれしていくように、元の魂から新たな魂が枝分かれして生まれているのです。
枝分かれした魂は、独立した魂として新たな個性や役割を持って存在しています。そのような枝分かれの連鎖の中で多種多様な魂が生み出されてきており、すべての魂は大いなる一つの源流から分かれ生まれているのです。
その支流に分かれて生み出された時期はそれぞれの魂によって異なるわけですけれども、川の水は源流から支流まで一つにつながっているように、分かれていったすべての魂も、それぞれの深いところで一つにつながっています。
魂とは個性を持った愛のエネルギー体
そもそも魂というのは何でしょうか。それは個性を持った愛のエネルギー体です。
魂はこの地球だけに存在しているのではなく、その大元である、この大宇宙に満ちている愛のエネルギーから様々な分かれ方をしながら、大宇宙全体に広がり、存在しているものです。
魂はその愛のエネルギーから一つひとつ切り分けられた個性体として、それぞれに唯一無二の個性が与えられています。
同じ個性を持つ魂は宇宙に二つと存在せず、その魂にしか果たせない役割というものが埋め込まれているのです。
あらゆるものが神の子であり、神の一部としての現れ
この大宇宙のあらゆるものをつくられ、生かされている圧倒的な愛のエネルギー。
それが宇宙の神と呼ばれる存在であり、神は私たちと別に存在しているのではなく、すべての魂が神の一部であり、ワンネスとも言われるように、それぞれが神の大きな意識体の一部であります。
すべての魂が生み出されてきた源流が神そのものであって、人間が神の子であると言われるゆえんは、一人ひとりがもれなく、神から分け与えられた愛のエネルギー体であり、神の一部だからです。
それは私たち人間だけではなく、動物であっても植物であっても、宇宙の星々であっても、あらゆるものが神の現れとして、神の子どもたちとして存在しています。
宇宙の根源の神に向かって
私たちの命の起源は、大宇宙に満ちている大いなる愛のエネルギーです。
その神の愛のエネルギーが神の一部として様々に分かれて現れているものが私たち自身であり、私たちという命です。
私たちは宇宙の根源の神のもとへと帰っていく永遠の旅を続けている存在であり、その命に終わりはありません。
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