愛とは無心に与えるもの【見返りを求めない】
「愛」と聞いたとき、みなさんはどんなものを思い浮かべるでしょうか。男女の愛や家族の愛というものを想像される人も多いかと思います。
愛というものが何であるのか、これまで様々なことが言われてきたのではないでしょうか。愛とは私たちが思っている以上に深いものであり、根源的なものです。
愛とは宇宙に満ちる根本的なエネルギー
愛とはこの宇宙を貫く根本的なエネルギーであります。この宇宙には目には見えませんが、愛のエネルギーが満ち満ちています。
たとえば、よくコーラなどが入っている透明のビンがありますけど、コーラを飲み干せばビンは空になって中には何も入っていないように見えます。だけれども、ビンの中には何も入っていないわけではなくて、空気というものが入っています。でもそれを見たり、触ったりすることはできません。
この宇宙というものも同じように、私たちの目には見えないけれども、愛のエネルギーがぎっしり詰まっているのです。
その愛のエネルギーとはどのようなものなのでしょうか。それは多くの人々を生かし、育むものです。
普段、私たちは空気があり、その酸素を吸って生きていますが、そんなことは当たり前過ぎて特別に意識することはほとんどないと思います。
愛のエネルギーというのもそれと同じように、私たちが気づいていないだけで、空気のようにそれがあるからこそ生かされているものなのです。
空気がなければ私たち人間はもちろん、動物や植物も生きていくことができないように、愛のエネルギーがなければ生きていくことができません。
宇宙は神の愛のエネルギーから生まれた
この宇宙というものは、神の愛の表現形であります。神の愛の思いが表現されて、ビッグバンにより創造されたのがこの宇宙です。神の愛のエネルギーの中から生まれたのがこの宇宙なのです。
神ご自身が愛のエネルギーそのものであり、愛の摂理、愛の法則そのものです。その愛のエネルギーによってこの宇宙はつくられ、この宇宙に生み出されたすべての命あるものたちが育まれています。神は愛のエネルギーというものを無限に供給し続けておられるのです。
愛とは見返りを求めず与え続けるもの
ここに、愛というものの一面を私たちは学ぶことができるのではないでしょうか。
つまり、愛とは与え続けるものであるということです。昨日は与えて、今日は与えないというような気まぐれなものではなくて、永遠に与え続けていらっしゃる。そして、そこには何の見返りも求めておられない。そのことに、私たちが気づこうが気づくまいが、ただただひたすらに無心に提供し続ける。それが愛の本質なのだと思うのです。
見返りを求めたとき愛は死ぬと言われています。「これだけやってあげたのだから、それに見合うような報酬や報いが欲しい」と相手に求めるようでは、それは愛とは言えないのです。いわゆる「ギブアンドテイク」というのは愛ではないのです。それは言ってみれば、「奪う愛」と言ってもいいかもしれません。
本当の愛というのは、「ギブアンドギブ」であり、相手から何かを得ようとするものではなく、ひたすらにギブしていくものです。
愛は与えれば与えるほど与えられる
それだけ愛を与えてしまったら、愛がなくなってしまうのではないかと思われる人もいるかもしれません。しかし、実際はそうではないのです。愛というのは、与えれば与えるほど、それ以上にどんどん与えられるのです。
それを「与えれば与えられる」という言葉で表現されていますが、与えれば何倍にもなって返ってくるのが愛というものなのです。
愛の思いが、どんどん周りにある愛の思いを引き寄せていくという言い方もできるかもしれません。「波長同通の法則」というものがありますけれども、似たような思いは引き寄せ合い、強まるのです。
愛とは尽きることのない泉のようなもの
愛とは尽きることがない泉のようなものです。こんこんと湧き出して、人々を潤していくものです。その泉は枯れることがなく、湧き出し続けていくものなのです。