多重人格は憑依現象
多重人格というものがあります。
今は「解離性同一障害」と言われていて、それは霊的な側面から見れば原因は明らかなのです。
その原因は「憑依」です。
憑依というのは、本人の心の思いによって、その思いに同通する霊たちが引き寄せられ、取り憑かれていることです。
人格が変わるのは憑依している霊が入れ替わっているから
人間は目に見える世界だけで生きているのではなくて、目には見えない存在たちの影響も受けながら生きています。
多重人格で人格がコロコロ入れ替わるのは、本人がいくつもの人格に分かれているのではありません。
憑依している霊たちが次から次へと入れ替わっているのです。
憑依している霊にもそれぞれの個性がありますから、その個性によってそれぞれ全く異なる人格が本人の上に現れているということです。
多重人格の原因は本人の心の思い
多重人格は心の問題です。
本人が日頃心に思っているその思いが原因となり、それらの霊を引き寄せているということなのです。
人の思いというのは、コンパスのように四六時中クルクル回っていて、「一念三千」とも言いますけれども、その時々で色々な方向を向いていますよね。
その中でも、何度も何度も同じことを考えてしまったり、悩んだりしていると、それが「執着」となってきます。
そして、だんだんと思いの針が固定されてくるわけです。
それが人を生かし、育み、分かち合うような愛の思い、人の幸せを願う利他の思いであれば、心は丸くピカピカに光輝き、憑依されるようなことはありません。
その反対に、自分さえ良ければいいというようなエゴの思いや、人を人とも思わない冷たい思い、怒りや妬み、恐れ、疑い、裁きの心など、そのような思いは悪想念となり、黒いスモッグのようにその人の心から発せられることになります。
その心の暗い思いに爪を引っ掛けられて、ハーケンを打ち込まれるようにして憑依霊に取り憑かれるのです。
地獄霊たちは地上で生きる人間の悪想念を活動エネルギーにしている
憑依してくるのは、あの世に帰りそびれている地縛霊や浮遊霊、地獄に存在している地獄霊などです。
地獄霊の中でも、積極的に悪をなそうとする霊は悪魔とか悪霊、魔と言われます。
それらは決してファンタジーでも空想でもなく、実際にそういう霊たちが存在しています。
地獄霊たちの活動源というのは、地上で生きている人たちの悪想念です。
人の思いというのはエネルギーそのものなのです。
その暗いエネルギーを嗅ぎつけ、吸血鬼のように飛んできては、その人に憑依してエネルギーを吸い取っているのです。
地獄の世界では神の光が遮られ、愛のエネルギーが届かない
みなさんは地獄の世界は明るいところだと思いますか。
それとも暗い世界だと思いますか。
こう聞かれたら、おそらく大半の人が暗い世界だと答えると思いますが、まさにその通りであって、地獄には神の光というものが差さず、暗くて冷たい世界です。
それは暗い想念が神の光を遮ってしまっているからであり、神の愛のエネルギーが届かないのです。
地獄というのは、ある意味、吹き溜まりのような場所であり、そこは地上の人々の悪想念をエネルギーとして取り込み、成り立っている世界であります。
地獄霊たちは波長同通の法則によって、同じような波長を出している人のところに引き寄せられ、その人の発する暗いエネルギーを吸い取っているわけです。
憑依されるとどのような状態になるのか
憑依されていると、感覚としては重苦しく、頭がすっきりしないような、だるい感じです。
目には見えませんが、背中に霊をおぶっているようなものですから重く感じるのも当然かもしれません。
憑依されている状態が続くと、体調がどんどん悪くなり、落ち込み、そう簡単に立ち直ることもできません。
憑依も重症になると、肉体を乗っ取られたようになり、自分自身でコントロールが利かなくなってしまいます。
すると、憑依している霊たちの思うがままに操られてしまい、憑依霊がコロコロ入れ替わって、自由意志というものを奪い取られ、ほとんど廃人のような状態になってしまうことさえあるのが実際のところなのです。
ちなみに、精神病と言われるもののほとんどの原因は憑依によるものです。
一度そのような憑依の道ができてしまうと、その道を通って、また別の者が入り込んでくるという悪循環に陥りがちです。
そのようなことにならないために、いかに自分の心の思いをコントロールするかが大切かお分かりいただけるのではないでしょうか。
心に光が満ちていれば波長が合わず憑依されることはない
多重人格(=憑依)の原因はすべて自分の心にあります。
他人のせいにできることは何一つありません。
心の思いが原因であるということは、逆に言えば、心に執着がなく、悪想念を持たないようにすれば、地獄霊に憑依されるようなことはありません。
心が愛の思いに満ち、光に満ちていれば、地獄霊とは波長が合わず、憑依されるようなことはないのです。
執着のない、ピカピカに光輝いた丸い心であれば、爪を引っ掛けられるところがなく、憑依のしようがありません。
そのような心で生きていれば、何も恐れることはないのです。