人がなかなか捨て切れないものは何でしょう?
それはエゴの思いです。
私たちは自分はこうしたい、ああしたいという思いで「自分のために」というエゴをもって生きているのが普通かもしれません。
エゴというのは言い方を変えれば自分視点で生きているということです。そのエゴを普通はなかなか抜くことができません。
ところが、本来の神の子としてのあり方は、自分がこう思う、こうしたいという自分視点ではなく、神が何を思われ、何を願われているのか。神の思いがどこにあるかを感じ取り、神の思いを自らの思いとする神視点での生き方です。
そこにエゴというものはなくなっていくのです。神の一部として、神の手足として生きるとき、そこにはエゴはなく、無私なる思いとなり、ただ神のためにお役に立とうという気持ちになってきます。
神はこの大宇宙をつくられた愛のエネルギーであり、この大宇宙のあらゆる神の子たちを生かし、育まれていらっしゃいます。ご自分のために何かをしようとか、自分の利益を得ようなどとは全く思われていません。
何の見返りも求めず、ただただ私たち神の子を愛し、その中で神の子たちが互いに愛し合うことを望まれていらっしゃいます。
強制的に何かをやらせようとか、それぞれの自由意志に反することをやらせようとか、神はそのようなことはされません。神の子たちの自由な愛の表現というものを喜ばれ、その大らかな愛でこの大宇宙を包んでおられます。
その寛容に満ちた愛の思いを知ったならば、自分の小さなエゴなどは吹き飛んでしまい、神の一部として宇宙全体に貢献できるよう、できるだけのことをしていきたいと思うようになってきます。するとエゴが抜けていき、ただ神のために生きようという思いになってくるのです。