「鬼滅の刃」の根底に流れる利他の精神

幸せになる生き方

自分ではない誰かのために生きる

「鬼滅の刃」はなぜこれほどまでに多くの人々の心を感動させるのでしょうか。

その理由は、そこに「あるテーマ」が根底に流れているからです。

それは何でしょう?

それは、「自分ではない誰かのために命をかけて生きる」というものです。

鬼殺隊が鬼と戦う意味

鬼殺隊の隊士たちの大半は、自分の家族や大切な人を鬼に殺されています。

鬼によって幸せな日常を壊された者たちが自分と同じような悲しみを他人が味わうことのないように命を賭して戦っています。

つまり、自分ではない者の幸せのために自分の命をかけて鬼と戦うのです。

炎柱、煉獄杏寿郎の言葉

たとえば、「無限列車」の映画でも描かれているように、鬼殺隊を支えている柱の一人である煉獄杏寿郎は鬼に襲われた列車の乗客二百名の命を守り、その後、突如現れた上弦の参と呼ばれる鬼と死闘を演じました。

致命傷を負いながらも、決して相手の鬼を逃さないという闘志を燃やし、人々や竈門炭治郎たち若い隊士を命をかけて守り抜きました。

「己の弱さや不甲斐なさにどれだけ打ちのめされようと心を燃やせ」というセリフは、人間という生き物の弱さを知りながらも、それに負けずに逆境を切り抜いてきた人だからこそ言える言葉です。

そして、最後、炭治郎たちに向かって、「俺がここで死ぬことは気にするな。柱ならば後輩の盾となるのは当然だ。今度は君たちが鬼殺隊を支える柱となるのだ。俺は信じる」と言葉を残して息絶えます。

映画でこの場面を見て、涙を流した人も多いのではないでしょうか。

竈門炭治郎が語る原因結果の法則

利他の心とは、自分を犠牲にしたとしても他者を助けようという思いです。

自分さえ良ければいいということではなく、他人の幸せのために生きることを望むこと。それが利他の心というものです。

なぜそのように利他の精神で生きることができるのでしょうか。

主人公である竈門炭治郎はそれを無意識のうちに悟っているようです。

最年少で柱となった天才剣士である時透無一郎に対して、竈門炭治郎はあるときこう言うのです。

「人のためにすることは結局巡り巡って自分のためにもなっている」

「情けは人のためならず」ということわざがありますが、それと同じ意味です。

別の言い方をするならば、自分のしたことが自分に帰ってくるという「原因結果の法則」と言われるものでもあります。

つまり、利他の思いで人のために生きれば、いつかそれが巡り巡って自分に返ってくる。人を幸せにした分だけ、自分に幸せが返ってくるということです。

人のために尽くすことが、相手にとっても、自分自身にとっても決して無駄になることはないということを竈門炭治郎は語っているのです。

利他の思いは神の思いにつながる

私たちは「鬼滅の刃」から何を学べるでしょうか。

それは、他者の幸せのために生きるということです。

別の言い方をするならば、自分のエゴのために生きても本当の意味では幸せにはなれないということでもあります。

そして、自分ではない誰かのために生きようとするとき、そこには自分でも思ってもみなかった莫大なエネルギーが生まれてきます。

それは、他者のために生きようとする愛の思いが神の愛のエネルギーと同通して、大きなエネルギーを引き寄せるからです。

それは「波長同通の法則」や「引き寄せの法則」と呼ばれる法則ですが、利他の心が神の愛の思いにつながり、宇宙の神の愛のエネルギーが流れ込んできて、自分の限界を超えた大きな力を発揮することができるようになります。

つまり、利他の心で生きることで、自分の力をも超えたことができるということを「鬼滅の刃」は私たちに教えてくれているのです。