食物連鎖のエネルギーの流れが意味しているものとは?

神の子

愛とは互いに生かし合う姿

愛とは何かと言うとき、一言では言い表せない多様な面と奥深さの中において、その一つをあえて言うのであれば、それは生かし合う姿ではないでしょうか。

生かし合うとは、互いの命を保たせるということです。それですぐに思い浮かぶのが「食物連鎖」と言われるものではないでしょうか。

自然界において、食べたり、食べられたりする中で互いにつながっていることが食物連鎖と言われます。植物を草食動物が食べて、草食動物を肉食動物が食べることで、肉体の命というものが保たれていきます。

互いの命を生かし合うエネルギーの連鎖

たとえば、海の中で、藻や海藻が太陽の光によって光合成を行い、炭水化物と酸素を作り出しますが、その藻や海藻をミジンコなどの動物性プランクトンが食べることになります。そして、それをイワシなどの小魚が食べて育ち、今度はもっと大きなマグロやカツオなどの魚がそれを食べます。それらのマグロやカツオなどが死ねば、その肉体が微生物のエサになっていくわけです。

私たちが日頃食べているマグロやカツオも、その後ろにはイワシやミジンコ、海藻や藻の命があり、それらの存在があるおかげで、それらを食べることができるのです。

G・タイラー・ミラーという科学者は次のように言っています。

「一人の人間が一年間生きるためには、300匹のマスが必要。そのマスには9万匹のカエルが必要で、そのカエルには2700万匹のバッタが必要で、そのバッタは1000トンの草を食べなくては生きていかれない」

そこには、命を生かし合うエネルギーの流れが連鎖しているということです。

命ある存在はすべてが他の命によって生かされている

さらに元を辿っていけば、植物を生かしめているのは太陽のエネルギーです。太陽のエネルギーを受けて、そのエネルギーを別のエネルギーに変換し、他の生物を生かしめています。

また、太陽のエネルギーが海水や地面を温めて、水を蒸発させます。そして、その水蒸気が雲となり、雨になって地上に降り注ぎ、水というものが循環しているのです。

このように生かし合っている姿がまさに愛そのものです。愛とは何かが分からないというのであれば、この食物連鎖の姿を思い出せばよいのです。すべての命あるものは、自らのエネルギーを他の命のために提供しているということです。人間はまさに言葉通り、一人では生きていけないということです。

私たち人間も自然界の一部であり、すべての動植物が共存しているということです。

自然界のバランスを崩した本人たちに火の粉が降りかかる

人間たちのエゴにより、身勝手なことばかりしているのであれば、それは大きなしっぺ返しとなって自分たちのもとに返ってくることになるのです。調和のバランスを崩した人間たち自身にその火の粉が降りかかってくるということです。

互いに生かし合っている存在だということに気づけば、人間としてどのように生きるべきなのかは自ずと答えが出てくるものです。

すべての存在に神の愛のエネルギーが流れている

もうすでに愛というものは自然界を通しても現れているのです。それが誰からの愛なのかと言えば、それは宇宙の神そのものです。

そのように、互いに生かし合うエネルギーの連鎖の中に、すべての存在の中に愛が流れているのです。

神はすべての神の子たちを愛されており、「私の子どもたちよ、互いに愛し合って生きなさい」と思われて、あらゆる神の子たちを生かし、育まれているのではないでしょうか。神に愛されていない人など一人もいないのです。