信仰について語るとき、日本では宗教に対するイメージが「マインドコントロール」や「胡散臭い」、「怖い」などのネガティブな印象を持っている人が多いですよね。
中には「宗教はお金をむしり取られるもの」と思っている人もいます。
実際に、一部の新興宗教やそれに類いする団体による犯罪行為や悪どい行いによるネガティブな印象が強すぎて、残念ながら本来の信仰というものが歪められた形で人々の意識に刷り込まれてしまっています。
人を騙したり、殺し合ったり、自由意志を奪ってしまうようなものは決して本来の信仰とは言えません。
マインドコントロールというのは、人の心を操作し、操作者の思い通りの意思決定や行動へ誘導することです。
また、洗脳とは物理的、または社会的な圧力などの強制力を加えることで、人の心を大きく変えることです。
いずれも本人の自由意志を奪い、抑圧し、思考停止させることだとも言えます。
一方、信仰とはそのようなものではありません。
信仰というのは、一言で言えば、神とともに生きることです。
それは神の思いがどこにあるのかを感じ取り、私たち一人ひとりの神の子に与えられた自由意志と創造力、個性を生かしながら、互いに愛し合い、神の願いを大宇宙の中で表現していくことです。
神というのは、色々な神が別々に存在しているのではありません。
神とはこの大宇宙を創られた愛のエネルギーそのものです。
根源の神は一つであり、すべての存在は神の一部であり、神の子としてすべてが愛の中で一つにつながっています。
これまでの地球上では、神近き偉大なる指導者たちが神のような姿でもって人類を導いてきた歴史がありました。
しかしながら、そのような世界的な宗教の始祖や指導者の方々も同じ神の子であり、私たちの先輩なのです。
この大宇宙を生み出し、あらゆるものを生かし育んでいる愛のエネルギーが私たちの内側も外側もすべてを貫き、支え、満たしています。
その愛のエネルギーの一つひとつの表現体として存在しているのが私たち神の子であります。
大宇宙の神の愛の思いや愛の意識に共鳴し、今いる場所で今というときを愛を表現して生きること。
それが信仰というものであり、神とともに生きるということです。
そして、私たち神の子の人生のフィールドは一つの星に収まるものではなく、大宇宙に広がっているものなのです。
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