毎年夏がやってくると、一歳ずつ年を重ねていくのですが、それは同時に残りの人生があと何年なのかを意識させられることでもあります。
人間は誰もが例外なく死を迎えるときがやってきます。
それはある意味で、突然今日やってきてもおかしいことではありません。
人は生まれてくる前に今回の人生の計画を立てて、寿命も決めてくるわけですけれども、この世で生きている本人にはそれがいつやってくるかは分からないものです。
だからこそ、その日がいつやってきてもいいように毎日毎日を悔いのないように生きる。
そして、お迎えがくれば、この世での未練など拭い去って軽々とあの世へ帰る。
私たちがあの世へ持って帰れるのは心だけであり、今回の人生をどのように生きたのかという思い出や記憶だけです。
死というのはあの世への旅立ちです。
肉体を脱ぎ捨ててあの世へ帰れば、すでに地上を去っていた家族や友人にも会うことができます。
ですから、死ぬことは恐いことではなく、むしろ喜ばしいことであり、すでに帰っている人たちからすれば「ようやく戻ってきたんだね。おかえり」という感じであって、お祝いムードなのです。
なぜなら、すでにあの世に帰っている人たちの多くはそこが自分たちの本来の世界であることを知っていて、魂修行のために肉体の中に宿って地上での人生を送っているのが人間であることを学んでいるからです。
しかし、地上に生まれてきてしまえば、そんなことも忘れて生きているのが実際の私たちであって、それはそれで仕方がない面もあるかもしれません。
逆に、あの世のことも含めて、それまでの魂の記憶をすべて覚えたまま生まれてくればいいかと言うと、魂修行的には必ずしもプラスになるとも言えないところがあって、やはり地上に生まれたらゼロから人生を送ることに意味があるのです。
そして、今回の人生で学ぶべきことを学んだなら、未練を残さずにあの世へ帰る。
また次の人生、来世で学ぶこともできるので、寿命が来たのならさっさとあの世に帰る。
そのくらい軽々と帰っていくくらいでよいのだと私は思っています。