何か不幸なことが自分の身に起きたとき、あなたはどのように感じますか。
「どうしてこんなことになってしまったんだろう?」
「何がいけなかったんだろう?」
「なぜ自分がこんな目に遭わないといけないんだろう?」
そのように感じる人が多いのではないでしょうか。
そして、多くの人にとっての分かれ道となるのが、その原因を自分自身と他人のどちらに帰するか、という点です。
普通は嫌なことが起きれば、自分のせいだとは思いたくもないし、それを自分で認めたくもないですよね。
たいてい多くの場合は、それを他人のせいにして文句を言ってしまったり、自分は悪くないと自己正当化をしがちで、そのようなことをしてしまう気持ちもよく分かります。私もそうでした。
ところが、神理を知って生きている人は自分に起きたどんな不幸であれ、他人のせいにすることは決してありません。
なぜなら、たとえ自分では忘れてしまっていたとしても、その不幸の原因は必ず自分がつくっていることを知っているからです。
原因があり、その結果があるという連鎖はこの大宇宙を貫いている法則であり、例外はありません。
不幸なことが起きるには起きるだけの原因があって、その結果を受け取るのは原因をつくった本人以外にはありません。
それは「自ら撒いた種は自ら刈り取る」ということでもあります。
その不幸の原因を冷静になって振り返ってみたときに、自分の思いや言動が原因になっていたと気づくことができて、心から反省し、改めることができれば、その後、同じような原因で同じような不幸な結果を味わうことはなくなります。
しかしながら、その原因が今の自分には分からないということもあるかもしれません。
というのは、私たちは普通は今回の人生のことしか覚えていませんが、過去世における数え切れないほどの人生を送ってきており、その中でつくってきた原因もあるからです。
過去世につくった原因が種となり、今回の人生でそれが良い実となろうと悪い実となろうと、自ら撒いた種であれば、それを今回刈り取るのは自分以外にはありません。
長い長い転生輪廻の中で、そのときの人生で死んだからといってチャラになることは一つもないのです。
魂は永遠の命を与えられており、私たちは死ぬことのない生き通しの存在だからです。
それを思えば、それに気づいたのであれば、良い種を撒く以外の生き方というのはなくなってくるのです。
そして、我が身に降りかかってくるどんな不幸であっても、他人のせいにせず、すべては自分の撒いた種であるとしてすべてを受けとめ、今回大きな学びを得られたと前向きに捉えて生きていくことができるようになります。
それが一番大切なことであり、神理に則った本当の生き方ではないでしょうか。
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