人の顔色を伺いながら生きる苦しさ
人にどう評価されているのかが気になってしまい、常に周りの顔色を伺いながら生きていて苦しいという悩みを持っている人は多いのではないでしょうか。
人に嫌われたくないと思って、相手が望んでいるようなことばかりしてしまう。
常に相手にどう思われるかということばかり気にかけているので、疲れてしまい、本当の自分をさらけ出せない。
そのような悩みを持っている人がいると思います。
どのようにすれば人の目ばかり気にせず、自分の軸を持って生きることができるのでしょうか。
自分のダメなところをまずは自分が受け入れる
このような悩みがある場合、その多くはそもそも自分のダメなところ、未熟なところを見たくない、自分自身で受け入れらないということが大きな原因になっています。
自分の嫌なところ、影になっている部分を自分が認めて受け入れてあげることが一つの解決策だと思うのです。
影になっているような暗い部分を、これも私自身なんだと思って受け入れられるようになると、今度は人の目を気にせずに「素の自分」というものを出せるようになります。
素の自分が出せないというのは、相手に否定されたくない、嫌われたくないという思いの裏返しです。
自分で自分のダメな部分、未熟な部分も丸ごと受け入れて、「これが自分なんだ」と認めてあげることができれば、人に何を言われようと気にならなくなるのです。
未熟なところをそのままさらけ出す
人間には未熟なところがあっていいのです。
それをそのまま人にさらけ出してみたらいいのです。
自分を守るのではなくて、人からどう思われようと、これが今の自分なんだとさらけ出すことで逆に人は守られるのです。
自分で自分を否定している限り、人の目が気になってしまいます。
周りに目を向けるのではなくて、自分自身を見つめ、自分を受け入れて、どんな自分であっても肯定してあげることです。
「これが私自身であり、私の個性であり、かけがえのない自分自身なんだ」と心から思えたとき、周りの声は必要以上には気にならなくなるものです。
この宇宙で存在しなくていい人は一人もいない
私たちは一人ひとりがかけがえのない存在であって、この宇宙で存在しなくていい人は一人もおりません。
無価値な人など一人もおりません。
人間は、そのままですでに十分素晴らしい価値を持っており、この世界でその人にしか果たせない役割というものがあります。
互いにおとしめ合うのではなく、足を引っ張り合うのでもなく、互いに足りないところは補い合い、助け合っていくために人は共に生きているのです。
そのことに気づいて生きていけば、それぞれの違いの素晴らしさが見えてきて、人にどう思われるかビクビクしながら生きるようなことはありません。
心の声に耳を傾け、より多くの人々の幸せのために生きる
人にどう思われようと、最後は自分の心が本当に求めていることに耳を傾けて、より多くの人々を幸せにできるかどうかという愛の観点を忘れずにいれば、人からの評価などどうでもよくなってしまうものです。
傷つくことを恐れず、未熟な部分も受け入れ、自分を裁くことを止めれば、周りの声に必要以上に左右されることなく、等身大の自分で生きていくことができます。
人からの評価に右往左往するのではなく、まずは自分の弱さも恥ずかしいところも丸ごと受け入れて、完璧な人など一人もいないのですから、自分のできることで他の人の幸せのために生き抜いていく。
そうしているうちに、人にどう思われるかという悩みは吹き飛んでいってしまうものです。