「生まれ変わり」は幻想か真実か?魂の記憶と科学的研究から探る本質

この世とあの世

今の肉体という形をまとう前にも、私たちは存在していたんだよ。
それが「魂」っていうものなんだ。

でもさ、そのときの記憶がないのに、本当に「そこにいた」「存在していた」って言えるの?

例えば、初めて会ったはずの人に、なぜか懐かしさを感じたことはない?
行ったことのない初めての場所なのに、前にも来たような感覚になることってない?
あの感じ。あれは魂が覚えている記憶なんだよ。

うーん。
でも、その「懐かしさ」を「魂の記憶」や「前世で知ってたから」って結びつけるのは、ちょっと飛躍しすぎじゃない?
実際には、証拠らしい証拠なんてほとんどないわけだし。
まあ、昔は自分もそう信じてたこともあるけどさ。
結局、人は信じたい間は信じるし、信じなくなったら終わるんだよね。

そう思う気持ちもよくわかるよ。
疑うこと、問い続けることは大切だからね。
でも実は、生まれ変わりについて真剣に考えている研究者もいるんだ。

そうなの?

例えば、アメリカ・バージニア大学医学部のイアン・スティーブンソン博士。
彼は世界中をまわって、過去世の記憶を語る子どもたちの事例を集めて、なんと2,600件以上を記録しているんだ。
実際に名前や地名、出来事までが後で確認されたケースも多いんだ。
この研究は、魂や生まれ変わりがオカルトや信仰の話ではなく、科学的に論ずべきテーマだということを世の中に示したんだよ。

へえー。
それは知らなかったな。

さらに、トロント大学のジョエル・L・ホイットン博士も、生まれ変わりが真実であると考えるに足る有力な証拠がそろっていると言っていて、「私と同じ結論に、皆さんも到達してくれることを願っている」とまで語っているんだ。

客観的な事実や材料があるってことなんだね。
そういえば、知り合いの子どもが生まれてくる前の天国の世界の話をすることがあるらしいよ。
にわかには信じがたい話だけど、不思議だね。

「感じるだけでは証明にならない」
それは確かににそう。
だけど、その“感覚”の奥にあるものを、ちゃんと掘り下げて向き合おうとしている研究者もいて、それが今、真剣に研究されているテーマでもある。
だから、もし興味があれば、少し覗いてみる価値はあると思うよ。

へえ……そんな研究があるなんて、正直知らなかった。
2600件って、想像してたよりずっと多いね。
子どもたちが話した内容が、実際の出来事と一致してたっていうのも、ちょっと驚いた。
でも……うーん、それでもやっぱり、「だから生まれ変わりはあるんだ!」って簡単には言えない気がする。
だって、子どもがテレビや大人の話から情報を得た可能性もあるし、記憶違いとか偶然ってこともあるんじゃない?
いや、否定したいわけじゃないんだ。
むしろ、そういう話って嫌いじゃないし、ロマンもあると思う。
ただ、自分の中では、どうしても「信じる」ってところまでは踏み込めないんだよね。
信じたい気持ちと、疑いたい気持ちが、ずっとせめぎ合ってる感じ。
…でもさ、君みたいに真剣に考えてる人の話を聞くと、「信じる」ってことが、必ずしも盲目的なことじゃないのかもしれないって思えてきたよ。

うん、そうやって迷うこともすごく自然なことだよ。
簡単に「信じます」って言うよりも、疑いながらでも自分の感覚で確かめていこうとするその姿勢、すごく大事だと思う。

生まれ変わりの話って、証拠もそうだけど、最後は「どこまで自分の心がそれを受け入れられるか」ってことかもしれない。
誰かに押しつけられるものじゃないし、タイミングが来ないと腑に落ちないこともあるしね。

でもね、例えば、なぜか分からないけど誰かに強く惹かれるとき、なぜか理由もなくある場所で涙がこぼれそうになるとき、そういう感覚の一つひとつが、魂が何かを思い出そうとしてるサインなのかもしれないんだよ。
科学も大事だけど、同じくらい大事なのは、自分の内側の小さな声に耳をすませること。
それがどこから来たのか、何を伝えようとしているのか。
もしその声に「うん」とうなずける日が来たら、きっとそのときがあなたの「答え」に触れる瞬間なのかもしれないね。

……なんか今、ちょっと涙が出そうになった。
理由は自分でもよくわからないけど……なんでだろう。
「魂が何かを思い出そうとしてるサインかもしれない」って、その言葉が胸にすごく響いて……。

実はさ、小さい頃から、時々あったんだよね。
誰かと話してるときに、「あれ?この人と前にもこんな会話をした気がする」とか、
ふと風景を見て、言葉にできない懐かしさに包まれることが。
でも、それを人に話したら「気のせいだよ」とか「想像力が豊かなんだね」って笑われるのが怖くて、ずっと心の奥にしまってたんだ。
それでも、どこかで「これはただの偶然じゃない」って思ってた自分がいた。
でも日常の中でそんな感覚は流されて、気づけば忘れてたんだよね。

君と話してるうちに、ずっと眠ってたものがふっと目を覚ましたような感覚がある。
もしかしたら、本当はずっと思い出したかったのかもしれない。
何かを、誰かを、自分自身を。
「信じる」って、ただ知識を持つことじゃないんだね。
こういうふうに、心の深いところが揺れる瞬間に、ほんとうの“何か”が始まる気がする。


私たちって、何かを「証明するため」にこの世界に来たんじゃない気がするんだ。
本当は、「思い出すため」に生まれてきてるんだと思う。
自分たちがどこから来たのか、なぜここにいるのかを。


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