人生の夢や目標が分からないという人へ
みなさんは人生の夢や目標を持っていますか。
夢や目標、理想などは単なるきれいごとであり、そんなことに思いを向ける必要性を感じないという人も中にはいるかもしれません。
人生とは、他人よりもいかに自分が幸せになるかを競うものだと思っている人もいるかもしれません。
人の幸せを素直に喜べないし、むしろ、他人が幸せになればなるほど、その分だけ自分は不幸になっていくという感覚を味わったりしていませんか。
そういう人が考えがちなのは、こういうことです。つまり、幸せの絶対量というものは限られていて、他の人が幸せになればなるほど、自分が得られる幸せの量が減ってしまい、幸せになるチャンスがどんどんなくなっていくという考えです。
そして、自分だけ置いてきぼりになった気持ちになり、つまらなくなり、幸せになっている人を羨み、それが度を過ぎていくと恨みや妬みとなり、その相手が自分の敵であるかのように攻撃をするようになる。
しかし、本当は違うのです。その幸せになっている人というのは、未来のあなた自身なのです。それは将来のあなたの姿であり、あなたもいつかそのようになれるということ。
幸せというのはケーキの取り合いではない
誰かが幸せになればその分自分が不幸せになるというようなことはありません。
幸せというのはケーキの取り合いではありません。丸いケーキがあって、早いもの順で食べられる人が決まっていくわけではありません。
言ってみれば、ケーキというのは無限にあるのです。他の人が取って食べたら消えてなくなってしまうというものではなく、あなたにはあなたのケーキがちゃんと用意されているのです。
誰も私を幸せにしてくれないと思っている人の決定的な思い違い
ところが、今度は誰も自分のためにケーキを持ってきてくれない。「自分のケーキもあるはずなのに、私のことを気にかけて、私にケーキを持ってきてくれる人は誰もいない。誰も私を幸せにしてくれない」という気持ちになってくる。「私はこんなに頑張っているのになんでだろう?」と。
そこには決定的な思い違いというものがあるのですけれども、なんだと思いますか。それは、幸せというのは他人が持ってきてくれるものだという思い込みです。
幸せというのは他人が与えてくれるものではなくて、自分が人の幸せのために生きた分だけめぐりめぐって返ってくるものなのです。
これまでの人生の中であなたが幸せを感じたときはどんなときでしょうか?
努力が報われたときや目標を達成したとき、誰かに何かを与えられたときも幸せを感じたことはあったかもしれません。しかし、それよりも心が温かくなり、嬉しい気持ちになったときがあったのではないでしょうか。それは人の幸せのために何かをしてあげたときです。
困っている人を助けてあげた。電車で席を譲ってあげた。道で落とし物をした人に声をかけてあげた。そんなとき、誰かの役に立つことができたことで幸せを感じるように人はできているのです。
それは、そのように感じる心というものが、神の子としてつくられた私たちの中に埋め込まれているのであります。
人の幸せのためにやったことは必ず自分に返ってくる
人の幸せのためにやったことがいつか自分に返ってくる。
これは宇宙の法則であり、例外というものはありません。多くの人たちの役に立ち、力になろうとすることは神の思いそのものでもあります。
中には、自分のために何かをしてくれるような人は一人もいなかったと思っている人もいるかもしれません。しかし、それはあなたが忘れているだけ、もしくは、気づいていないだけかもしれません。
あなたのために力を尽くしてくれた人や存在というのは必ずいて、それは家族であったり、仲間であったり、もっと言えば、私たちの目には見えないところで、あなたを見守り、育んできた人たち。あなたは決して一人でここまで生きてきたのではないのではないでしょうかか。
そのことに気づいたのであれば、今度はその気づきを感謝に変えて、その人たちから受けたものを他の人たちの幸せのために活かしていくということです。幸せというのはそのように循環していくものであり、相手の喜びを我が喜びとしたとき、人の力というものはどんどん溢れ出してくるということ。
そして、幸せになるのは相手だけではなくて、自分自身にも回り回って返ってくるということ。
利己ではなく利他の方向へ
人生の夢や目標というものは、決して自我我欲や利己的な方向で立てられるべきものではなく、多くの人たちの役に立ち、力になろうとする方向性で立てられるべきものであります。
そのために自らの時間を捧げて生きるとき、私たち神の子の人生は光り輝いていくものです。