感謝の思いが愛をなす原動力となる
愛と感謝はコインの裏表であり、感謝の思いが愛をなす原動力となるものです。
普通に生きていると、人間はやはり弱いもので、当たり前のことが本当は当たり前ではないことを忘れてしまう生き物なのかもしれません。
自分一人だけで生きていられるような人は一人もおらず、本当は誰かに支えられ、助けられ、生かされているものです。
それが当たり前になってしまうと、そのありがたさを忘れ、まるで自分の力だけで生きているような気になり、感謝の思いを失っていきがちです。
自分一人だけで生きていられる人など一人もいない
たとえば、毎日お米や野菜を食べられることも本当は当たり前のことではないのです。
それらをつくる農家の人々がいて、それらを運んでくれる人々がいて、料理をしてくれる人々がいて、ようやく自分の口に入ることになるわけですけれども、様々な人たちの働きがあるおかげで私たちは生きていられるのではないでしょうか。
自分一人だけで生きている人など一人もおりません。
それまで当たり前だと思っていたことが、本当は当たり前ではなく、誰かの支えの中で生かされていたということに気づけば、そこには自然と感謝の気持ちが湧き上がってくるものです。
その感謝の思いが、そうであれば今度は自分が誰かのために、という愛をなす原動力になっていくのです。
別の言い方をするならば、感謝が湧かなければ、愛をなす力にならないということでもあります。
感謝の中で最も大切なものは神に対する感謝
そして、その感謝の中でも、神に対する感謝というものが最も大切なものであり、最も大きな感謝であると思います。
私たちは知らず気づかずのうちに、これまでずっと神の愛のエネルギーに生かされ、育まれています。この宇宙のあらゆる命は神により生かされ、育まれているものです。
人は酸素がなくなれば十分も生きられないように、神の愛のエネルギーがなければ生きていることはできないのです。
すべての神の子たちがその目には見えない神の愛のエネルギーに生かされており、私たちがそれに気づかずとも神は黙ってその無限の愛のエネルギーをこの宇宙中に送り出されて、あらゆる神の子の命を育まれていらっしゃるのです。
その神に対する感謝を捧げることは、私たち神の子にとっては最も大切なことであると思います。
愛と感謝は切っても切れない
愛と感謝というのは切っても切れないものであり、密接につながっているものです。
愛をなすために必要なものが感謝であり、感謝がなければ愛をなすことはできません。
義務感だけで愛をなしていれば、やがてはその愛も枯れていくことでしょう。
そこに感謝の裏打ちがなければ、愛はただの形だけのものとなり、人の心に届く愛とはなりません。