私自身は特定の宗教や宗派に属する者ではありませんが、これまでそれらに関する書籍や残された言葉などから多くの学びをさせていただいてきました。
例えば、キリスト教の聖書もそうですし、仏教におけるブッダの言葉や教えもそうです。
それだけではなく、儒教の孔子や道教の老子の教えにも触れてきましたし、古代ギリシャにおけるソクラテスやプラトンが語ったこともそうです。
このようなことを言うのは、ここで自分が多くの学びをしてきたと自慢したいなどということではもちろんありません。
世界の「四大聖人」と呼ばれるイエス・キリスト、ブッダ、孔子、ソクラテス。
そして、「三大宗教」である仏教、キリスト教、イスラム教。
これらの人たち、これらの教えが千年、二千年という長い時間を経ても決して古びることなく、心の拠り所としていまだに世界中の多くの人たちを救い続けているという事実。
その事実こそが、その中に紛れもなく真実なるものがあるという証ではないか。
私はそのように思っています。
今ここで挙げた人たちやその教えには共通していることがあります。
それは、最後は必ず目には見えないものに辿り着く、ということです。
そこで説かれているのはすべて神の教えです。
それぞれが別々の教えに思えるかもしれませんが、同じ神の教えを別々の側面からそれぞれの個性を通して説かれているのです。
それにより宗教的な意味での争いが起きている現状もあるかもしれませんが、それは単純に地上に生きている私たちの認識力が低いからに違いありません。
どんなことにもやはり学びの段階というものがあり、一足飛びにすべてのことが理解できるわけではありません。
実際、これまでの世界的な宗教やそれに等しいと言えるような神の教えというのは、偉大なる神のメッセンジャーが神のような姿をもって人々を導き、指導されてきたということがあります。
しかしながら、そのような偉大なる地球のリーダーたちであっても、大宇宙の根源の神そのものではなく、神のような役割を果たしながら私たち地球人類を導いてこられたのです。
そのことをもう私たちは知らなくてはなりません。
認識しなくてはなりません。
根源の神とは、一つの惑星の中で生きる人格を持った存在ではなく、この大宇宙を創造し、あらゆるものを生かし、育んでいる愛のエネルギーそのものであるということ。
その神の思い、大宇宙を流れる愛の摂理、愛の法則を説き、そこに生きる同じく神の子である私たちと喜びも悲しみもともに味わいながら、見守り、愛し続けてこられた存在たち。
それが地球という星のリーダーたちであり、導き手であります。
それが地球の霊界では九次元霊と呼ばれる救世主たちであり、それに準じる方々の姿であります。
その教えを学ばせていただきながら、私たち地球人類は魂の学びを得て、成長を遂げてきました。
これから地球が宇宙に開けていく、ステップアップしていく時代を迎えて、地球人としての宇宙的なスケールでの認識の拡大というもの。
それがこれからの時代を生きる人たちの常識として根付いていくことになる認識でもあります。
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