芸術とは神の愛の表現媒体
今回は芸術について触れてみたいと思っているのですが、たとえば、みなさんは宇宙の星々や星雲の写真などを見たことがありますでしょうか。
それらを見ると、まるで芸術であるかのようにとても美しく感じられます。それらはまさに宇宙の神の芸術作品のように思えるほどです。
芸術というものは、芸術家の思いを表現しているものや何かのメッセージを伝えるものだと思われることが多いかもしれません。
しかし、本来の芸術というのは、神の愛の波動を感じ取り、それを作品の中に込めるものであります。
神は最大の芸術家
神は最大の芸術家と言われます。
この宇宙には神が創造されたものがあちこちに存在していて、先ほど申し上げた宇宙の星々や星雲などもそうです。
そして、たとえば、動植物というものもそうであります。海の中で揺れているクラゲでも本当にきれいな姿をしているものがあります。花であれば、桜であったり、バラであったり、様々な美しいものが創られております。
それらはまさに神の芸術作品です。そこには、神の愛というものが表現されているのです。神の愛が表現されると、「美」というものになるということなのです。
神の愛というものはあらゆるところに現れています。現実に存在しているもの対して、どれだけ神の愛を感じ取れるか。
それはつまり、どれだけそこに美しさを感じ取れるかということでもあります。私たちが日頃気づいていないだけで、神の愛はあちこちに咲き乱れているものであります。
芸術は神の愛を表現するもの
芸術というものは、そのように神の愛を表現するものです。究極的には、どれだけ高次元の愛を表現した作品を地上に打ち出していけるか。それこそが芸術家としての悟りであり、使命そのものだと言えると思うのです。
たとえば、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いたモナ・リザの絵というものがありますよね。あの微笑みを浮かべた女性の絵がなぜあれほどまでに評価され、人々を引きつけるのでしょうか。
それはあの絵に神の愛が込められているからです。神の愛というものが塗り込められているからです。その神の愛が絵を通して伝わってくる。
だからこそ、私たちはあの絵を見ると心が穏やかになり、温かさを感じ、そして美しさを感じるのです。
神の愛が表現されると美になっていく
芸術というものは、そのように宇宙の根源の神の愛を感性を通してどれだけ伝えていけるかということに尽きてくるわけです。
ですから、神を認めない芸術というのは本来普遍的なものではなくて、作品としても本当の意味で評価されるものではないのです。
神の愛は、表現されると美になっていきます。それは最も美しいバランスの取れたものになろうとしていくのです。