相手を変えようとしない
「相手にこうなってもらいたい」、「相手を変えたい」と思ったとき、どうすればいいのでしょうか。
逆説的ですが、相手に変わってほしいとき、自分が相手を変えようと思っても決して変わりません。
たとえば、子どもが全然勉強しないとき、「勉強しなさい」と言っても勉強しないものです。
勉強できる子に変えようと思って、問題集や参考書などをたくさん買ってきて与えても、そっぽを向かれるだけです。
つまり、こちらから相手を変えようと思えば思うほど、相手はそれに抵抗して負けまいとするわけです。
変えようとすればするほど、相手は頑なに拒否することになるでしょう。
相手の素晴らしさを信じきる思いの波動で人は変わる
人は外的な圧力によって変わるのではないのです。
相手を変えようとするのではなく、相手の素晴らしさを信じることで人は変わります。
子どもであれば、その子の素晴らしさ、その子の良さというものを信じきる。
その思いの波動によって相手は変わっていきます。
うちの子は本当に素晴らしいんだと思い続けることによって子ども自らが良い方へ変化していくのです。
それは子どもだけではなく、どんな人であっても同じです。
会社の部下や後輩が思ったように仕事をしてくれない。
そんなときも同じです。
無理やりプレッシャーをかけて、ペナルティなどをチラつかせて動かそうとしても決して上手くはいかないのです。
相手は絶対的に素晴らしい存在だと信じきる思いが伝播して、自然と相手は変わっていきます。
その思いを持っていれば、こちらの言動も変わるはずで、そうした言葉や行いから相手も必ず感じ取るものがあるのです。
すべての人が神の子
では、どうしたら相手の素晴らしさをそこまで信じ切れるようになるのでしょうか。
その確信はどこからやって来るものなのでしょうか。
それはすべての人が神の子であるということからなのです。
絶対的な素晴らしさを持った神から生み出された存在である私たち一人ひとりが素晴らしい存在でないはずがありません。
その確信のもとに、相手の良さを信じきること。
その思いの波動で相手は自然と変わっていきます。
ですから、逆説的ではありますが、相手を変えたければ相手を変えようと頑張るのではなく、神の子として相手は素晴らしいのだと思うことです。
それによって相手は自然と変わっていくのです。