『君の名は。』解説〜二人は魂のパートナー〜

男女

物語のテーマは魂のパートナー

『君の名は。』の映画が公開されたのが2016年でしたが、大ヒットをして社会現象を引き起こしたのを記憶されている人も多いのではないでしょうか。

個人的には最近になって小説も読んで、改めてこの物語は「魂のパートナー」がテーマになっていると思いましたので、今回解説をしたいと思います。

以下、ネタバレも含まれますので、まだ内容を知らないという人はご注意ください。

最初は二人で一つだった

魂のパートナーという観点でこの物語を見たとき、象徴的なシーンや言葉がたくさん出てきます。

たとえば、以下の言葉もそうです。

「最初は二人で一つだったのに、つながっていたのに、人はこうやって、糸から切り離されて現世に落ちる」

私たちの魂がつくられたとき、男性の魂と女性の魂は一体でありました。それが、りんごを半分に切ったように、男性と女性に分かれて、それぞれの旅が始まります。

つまり、元々、一体だった男女の魂が、男性は男性として、女性は女性としての役割を学ぶために、二つに分けられて存在しているということです。

現世というのは、この宇宙と言い変えることができます。それぞれの性の役割を学ぶために、この宇宙において二人が切り離されて、肉体に宿り、それぞれが魂としての学びを深めている。

かたわれ時とは

作中において、黄昏時の語源について触れられている箇所があります。その語源の古いものに「かたわれ時」というものが出てきます。

この「かたわれ時」というのはまさしく、男女一体としてつくられた魂が男性と女性に分かれている時というのを表しているわけです。

かたわれになっている時、それはつまり、魂のパートナーと別れて、各々が別々に生きている状態を指しているということです。

糸守町に落下してくる彗星の姿も、元々は一つだったものの先っぽが二つに分かれます。二股に分かれて、分裂したようになって、地上に落ちてくるわけですけれども、これもモチーフは一体だったものが二つに分かれるということです。

瀧と三葉はそれぞれの意識を保ったまま相手の肉体に入れ替わる

物語の主人公である男子高生の瀧と女子高生の三葉は、それぞれの意識を保ちながら、それぞれの肉体に入れ替わります。そのトリガー、きっかけになるのは、夜に眠ることです。

眠っているときというのは、私たちの霊体は肉体を抜け出してあの世に帰ってエネルギーを充電しています。つまり、瀧と三葉の霊体が自分の肉体を抜け出して、いっとき相手の肉体に宿っているということです。

入れ替わった後も、瀧は瀧の、三葉は三葉の意識と個性を保ったまま相手の肉体に入っています。肉体というのはこの世で魂の修行をするための乗り舟であり、本来の自分自身というのは霊体である意識のほうです。その意識というのは、消えてしまうものではありません。

三葉の祖母である一葉が、三葉の肉体の中に入っているのが三葉ではなく瀧であることを見抜いて、「あんた今、夢を見とるなあ?」と言う場面があります。

一葉はつまり、目に見えないものが見えている。三葉の霊体ではなく、別の霊体が三葉に入り込んでいるのが分かって、そのように言っているわけです。

魂の懐かしい記憶

霊体が入れ替わるということは、よほどこの二人が魂的に近しい存在であるからこそ可能になっているのであり、もっと言うのであれば、元々一体だった魂であるからこそ可能になっているのです。

その証拠に、瀧は次のように言っています。

「名前も知らない人なのに、彼女だと俺にはわかる」

魂の懐かしい記憶というものがあるのです。相手がどんな肉体であろうが、自らのかたわれの魂のパートナーは直感的に分かるものであり、離れていた磁石がぴたっとくっつくように、魂的にその匂いが分かる。

それは同じエネルギーを共有し、お互いに補完し合っているエネルギーであります。魂のパートナーというのは、何人もいるのではなくて、半分に切ったりんごの切り口が合うのは一人だけなのです。

魂のパートナーとの出会い

「私は、だれかひとりを、ひとりだけを、探している」

「俺は、だれかひとりを、ひとりだけを、探している」

三葉と瀧が探しているのは魂のパートナーであり、その魂のパートナーとの出会いを描いているのが「君の名は。」という物語であります。

魂のパートナーである二人にとっては、それぞれ別々の人生に思える経験も、いつかは同じ経験として共有されるものです。相手の人生がそのまま自分の人生でもあるということです。

そして、分かれていた魂のパートナーは、いずれは再び一体となり、ともにこの宇宙の中で、二人で協力し合いながら使命と役割を果たしていくことになるのです。